水の話
 
危機的な状況にある日本の自然

校庭の一画で繰り広げられる自然界の営み
 池の中にはたくさんのメダカが泳いでいます。トノサマガエルやヤゴもいます。他にも多くの生き物が池の中にすんでいます。周りには、子供の背丈ほどの野草も生えています。かつては、ごく当り前の風景として、どこにでも見られたのどかな生き物たちの楽園、といった雰囲気です。しかし、池の中では食うか食われるかといった闘いが行われているはずです。ここは愛知県の豊川市立桜木小学校の校庭の一画につくられたビオトープです。校庭に池を掘り、草花を植えるといったことは昔からよく行われています。でも、桜木小学校のビオトープはそうしたものとは、どこかが違っています。よく見れば、ここにいる生き物たちは、昔からいた、いわばありふれた生き物ばかりです。とくにきれいな花や珍しい動植物を集めたり、池の魚が鳥の餌とならないように金網を張って保護するというようなことはしていません。当然、メダカはヤゴに捕えられ、ヤゴはカエルに、カエルはどこからか飛んで来るアオサギやコサギなどの餌とされています。ビオトープの中では自然界と同じ営みが繰り広げられているのです。

桜木小学校の校庭 池
トノサマガエル
桜木小学校の校庭の一画に作られたビオトープ。池の中にはトノサマガエルやヤゴ、メダカなどがいます。ここは生き物にとって特別な場所ではなく、ごく当り前の自然の環境です。

自然の豊かさで大切な種類の豊富さ
 校庭の一画に作られた池を中心として繰り広げられる生き物たちのドラマ。一方、街角にある公園のように、色とりどりの花を咲かせチョウやハチを集めている花壇もあります。どちらにもたくさんの植物が植えられ、虫たちが集まれば、同じようなものと考えられがちです。多くの人は、きれいな花が咲き、かわいい動物たちがいて、緑が豊富であれば、自然が豊かだと感じるようです。しかし、ビオトープが復活させようとしている自然は、動植物がたんにたくさんいるだけではありません。たとえば樹木が多ければ緑は豊かです。でも、人工的に単一の樹木だけでおおわれた山は、いくら緑が多くても自然に恵まれた山とは呼ばれません。
自然という言葉は、一般には人の手が加わっていないもの、という意味で使われています。実際、人が植木鉢や温室の中で栽培した花に対して自然という言葉は使われませんが、道端や公園の片隅などで咲く花は、人が意識的に植えたものでなければ自然といった表現が使われています。動植物だけでなく山、川、海といった場所も堤防やダムがなければ自然の風景として表現されます。
本来の自然とは、野生生物が生きていくために必要な環境のことです。その環境に必要なものとして「土壌」、「大気」、「水」、「太陽光」があげられます。これらの要素と「生物」とによって「生態系」というシステムが作られています。土壌の生物は動植物の死骸を分解し植物の栄養素としたり、水を浄化し蓄える土を作ります。植物は小動物の餌となり、さらに小動物はより大きな動物の餌となり、最後はすべてが土に帰ります。このように、すべての生物によって「食物連鎖」が作られています。この食物連鎖によって作られているのが生態系ピラミッドです。この本来の自然によって作られた野生生物が生きていける環境こそがビオトープなのです。
ワシやタカなどは食物連鎖の頂点に立つ動物の一つです。これを生態系ピラミッドで表わすと、ピラミッドを支えるには、多くの種類の動植物が必要となり、広大な底辺が必要だということが分かります。例えば一つがいのイヌワシが生きていくには6,000ヘクタールもの土地が必要だとされるのです。
あるいは、絶滅寸前の植物を保護するために、その回りを柵で囲んだとしても、必ずしも生き残れるとは限りません。その植物が子孫を残すため、特定の昆虫によって受粉が行われるとすれば、その昆虫が生きられる環境を周囲に残しておく必要があるからです。
つまり、自然が豊かであるためには、植物などの量が多いこと以上に、種類の豊富さが大切となってくるのです。

食物連鎖
食物連鎖を生態系ピラミッドで表わした一例。日本でこのピラミツドの頂点に位置するのは、ワシやタカなどの大型鳥獣です。底辺の一部が開発などによって失われるとピラミッドの上部ほど大きな影響を受けることになってしまいます。なお、生態系ピラミッドは陸だけではなく、海にもあり、海の場合はシヤチのような動物が頂点にきます。
資料:(財)日本生態系協会

雑木林
ビオトープといっても様々なタイプがあります。農家などの裏山と呼ばれていた雑木林も、小鳥が巣をかけたり多くの種類の昆虫が集まっていました。


メニュー1 2 3 4 5 6次のページ