命の宝庫、琵琶湖ヨシ群落

水の話 No.170 特集 時代と海を越える上総掘り 日本の伝統技術で開発途上国にきれいな水を

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上総掘りが、開発途上国の水不足を救う。

地球の子どもたちにきれいな水を届けたい

 消滅寸前だったこの上総掘りの伝統技術は、近年、水不足に悩む東南アジアやアフリカなどの開発途上国において再び脚光を浴びることとなります。現在、NPOや日本の数少ない伝承者の実施指導によって、技術の継承が行われています。

 『NPO法人上総掘りをつたえる会(以下、つたえる会)』は、1981年に当時、袖ケ浦町で町議会議員を務めていた山田吉彦さんが中心となって結成し、水不足に悩む東南アジアの人々のために上総掘りの技術を伝え、国際交流・国際協力に役立てることを目的に活動しています。フィリピン・バタンガス州の学校に、井戸掘り職人2名を派遣し現地の人々とともに井戸を掘ったのを最初に、以来30年以上にわたってフィリピンやインドネシアの学校や集落の中心地に井戸建設を続けています。

 同時につたえる会では、若い世代や現地ボランティアへの井戸掘り技術の継承にも努めてきました。会の代表である高橋文代さんは「2005年にフィリピンのキロキロ小学校で井戸を掘った際、フィリピンのカウンターパートが掘削中に掘り鉄管を地中に落とすアクシデントに遭遇しましたが、しっかりと引き上げる技術を覚え対応している姿を見て、技術を“伝える”という目的は達成できたと確信しました」と話されるように、現在では現地のボランティアスタッフだけで井戸の掘削が可能になるまでになっているそうです。

水道やトイレの建設など、水環境の改善にも貢献

 さらに近年は、井戸のほかにも学校の校舎や水道、トイレの建設など、活動の領域を広げています。2011年には、セブ島アレグリア州の小学校に、水道をつくりました。島全体が岩盤でできているセブ島は機械でも井戸を掘ることが難しいため、上総掘りによる井戸ではなく、2キロも離れた湧水の源泉からパイプで水を引き蛇口をつけて、いつでも水が使えるようにしたのです。また2012年には、同じくセブ島アレグリア州の別の小学校に、水道とトイレを建設しました。この小学校のトイレは屋外にあり、雨が降ったら傘をさしてトイレまで行かなくてはいけない状態の上、子どもの数に対して圧倒的に数も足りず、流すために汲み置きしている水も少ないため、不衛生になっていました。こちらも湧水の源泉から学校まで、パイプをつなぎ手洗い場と足洗い場を完成させ、各教室にトイレをつくりました。高橋さんは「この地域の子どもは、毎日使う水を何キロも離れた湧水まで汲みに行くのが日課でしたが、水道やトイレが整ったことで、衛生面や学習環境が良くなって多くの人に喜んでいただきました」と当時を振り返ります。これらの活動は、日本水大賞※の国際貢献賞や地球倫理推進賞などを受賞しています。「最近は、学用品や衣類の提供、給食支援なども始めました。これからも“命の水”を贈ることを軸に、自分たちができることを精一杯にやっていきたいです」と熱い想いを膨らませています。

※日本水大賞とは:
安全な水、きれいな水、おいしい水にあふれる21世紀の日本と地球をめざし、水循環の健全化に貢献するさまざまな活動の中から優れた活動に 対して、日本水大賞委員会が平成10年度から毎年表彰を行っています。フジクリーンも環境関連企業としての啓発活動に対して、第10回日本水大 賞・経済産業大臣賞を受賞しています。

1:2005年キロキロ小学校につくった上総掘りの足場の前で
2:NPO法人上総掘りをつたえる会代表の高橋文代さん(写真中央)とセブ島アランガセル小学校の子どもたち

数少ない技術伝承者から学び、受け継ぐ

 2006年に上総掘りの技術が重要無形民俗文化財の指定を受け、その技術保持団体として技術を保持、伝承する活動を行っているのが『上総掘り技術伝承研究会(鶴岡塾)』です。

 上総掘り技術伝承研究会は、上総掘り職人の経歴を持つ鶴岡正幸さんのもとで、上総掘りについての歴史から道具、掘削方法まで、幅広い技術と知識を学び継承している団体です。鶴岡さんは、祖父の代から続く井戸掘り職人の3代目として17歳で家業を継ぎ、袖ケ浦市や君津市を中心に多数の井戸を掘って活躍されていました。しかし時流の中で、井戸の需要がなくなると職人を廃業し、公務員として定年まで勤められ、退職後は袖ケ浦市郷土博物館の職員として小学生や地域の方々に上総掘りを教えられていました。そうするうちに、継続的に上総掘りについて学びたいという市民学芸員のグループからの声を受けて、「鶴岡塾」を発足。その2年後に重要無形民俗文化財に指定を受けたのを契機に、団体名を『上総掘り技術伝承研究会』に改めました。

上総掘り技術伝承者 鶴岡 正幸さん

“昔ながら”の技術を守ることの意味

 現在は、袖ケ浦市郷土博物館の敷地内に足場を設置し、掘削作業を行いながら模型や道具の制作、過去に上総掘りで掘られた井戸のメンテナンスなども行っています。また体験実習やJICAなどを通じて海外からの見学者の受け入れも積極的に行っています。「海外ではまずは水を出すことが重要なので、上総掘りの原理を役立ててもらえば、あとはどうアレンジしてもいいと思います。ただこの会では、昔の職人の技術をしっかりと伝承することを最大の目的として、私の祖父から受け継いできた技術を教えています」と鶴岡さんが語るように、“昔ながら”の職人の技術を大切に守り、後世へとつなげています。

 また会員の藤代かおるさんは、上総掘りを学ぶ中で、改めて伝統技術を知ることの面白さに出会ったそうです。「道具一つをとっても、なぜこの大きさでなぜこの素材を使うのか、すべてが理にかなっていて職人が試行錯誤を繰り返して培ってきた知恵を感じます。またその地域にあったモノを使い、ほとんどが土に還る素材を使っているなど、今で言うエコな技術であることからも、残すべき技術だと痛感します」。豊富で安全な水があたり前に手に入る現代の日本では、なかなか気付きにくい新しい発見が伝統技術の中に隠れているようです。

1, 2:袖ケ浦市郷土博物館の敷地内に立てられた上総掘りの足場。上総掘りの掘削体験をすることができます。
3:2015年8月に上総掘りを体験するため来訪されたJICA筑波センターの方々と。(写真提供:上総掘り技術伝承研究会)

水でつながる、過去と今、今と未来、日本と世界

 上総地域では、現在、紹介した以外にもさまざまな団体が上総掘りの伝承や保全に取り組んでいます。木更津、袖ケ浦、君津の3市では、2004年~2006年の3年間にわたり「上総掘りサミット」を開催し成功させるなど、小さなまちで生まれた偉大な技術をしっかりと守る人たちがいます。上総掘りの恩恵は、地域の産業の中にも息づいています。井戸水を使った花のカラー栽培は全国一の生産量を誇り、豊富で良質な水でつくられる清酒やじねんじょなどは地域の特産品として注目されています。

 上総掘りは、今もなお、時代や空間を越えて生きています。かつての技術として手放すことなく、守り、活かそうとした人々のおかげで、遠く離れたアジアの地に水という贈り物が届けられました。先人たちの知恵と技術は、地域に残る大切な財産です。この大切な財産から、限られた資源への不安と多くの環境問題を抱える私たちの未来にも、新たな可能性が見つけられるかもしれません。

上:君津市久留里地域の田園風景
下:豊富な地下水が欠かせない湿地性カラー。豊富な湧き水を使った君津のカラーは、品質に優れ日本三大産地と言われています。
(写真提供:JAきみつ)

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