生き物が教えてくれる水の中の変化

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山村の生活と水環境

魚や水草の宝庫であった手賀沼

 手賀沼は多種多様な生き物たちが暮らす自然の宝庫でした。昭和20年代ごろまでは澄んだ水の中で、多くの魚介類が生息し、たくさんの種類の水草が生えていました。
 かつてウナギ、メダカ、ドジョウ、ヤリタナゴ、ウグイ、ギバチ、ワカサギなどの魚を普通に見ることができましたが、現在は確認のできない魚もいます。一方、汚濁のひどかった頃は、モツゴ(クチボソ)、コイ、ギンブナ、ゲンゴロウブナ(ヘラブナ)、タイリクバラタナゴ、そしてテナガエビなどの魚、貝、エビ、カエルといった水生動物は約20種程度でしたが、現在は30種程度に戻っています。
 水草も抽水植物を除いてガシャモク、ササバモ、マツモ、セキショウモ、センニンモなど26種類あったとされますが、現在ではほとんど姿を消して、よく見られる水草はヨシ、マコモ、ヒメガマ、ヒシなど5~6種とされています。またハスも見られますが、これはもともと栽培種であったのが繁殖したものです。
 ところで、ため池では何年も見られなかった水草が、姿を現すことがあります。池の改修工事や池干しによって、土の中で眠っていた種子が目を覚まして発芽することがあるのです。いまから2,000年以上前の弥生時代の遺跡から発掘されて花を咲かせた大賀ハスは有名です。手賀沼では改修工事のときなどに見つかったガシャモクなどの埋土種子を発芽させ、さらに株分けをするなどして手賀沼で繁殖させる試みに取り組んでいます。同様の試みは印旛沼でもおこなわれています。

モクというのは川藻のことを指し、かつては全国の湖沼などで田畑の肥料とするためにモク採りがおこなわれていました。(千葉県立中央博物館所蔵資料。協力:千葉県立大利根博物館)

全体が水中に沈む沈水植物で、ヒルムシロの仲間のガシャモク。琵琶湖や九州にも若干生息しているとされます。

肥料として使われていた水草

 干拓がおこなわれる前の印旛沼には現在の西印旛沼と北印旛沼を併せて約50種もの水草があったとされています。その後はほとんど姿を消していったコウガイモ、ホザキノフサモ、センニンモ、ササバモといった沈水植物は田畑の肥料として使われていました。印旛沼や手賀沼ではこうした水草を採ることを「モク採り」と呼び、そのためにサッパ舟と呼ばれる小舟が使われていました。
 ところが沼の開発事業と水の汚れによって、水草の数も種類も急激に減少していきました。昭和60年(1985年)頃になると、それまでは見られなかったオニビシが北印旛沼、西印旛沼の水面の80%も覆ってしまいました。さらに翌年になると、北印旛沼ではオニビシ、アオウキクサ、そして外来種のオオカナダモ以外の水草はほとんど見られなくなってしまいました。
 最近の調査では両沼で見られる水草はホテイアオイ、オオフサモなど、約10種類とされています。
 従来からあった水草が姿を消していった理由の一つとして、堤防や水深を深くする沼の開発事業がおこなわれたことによって、岸辺が変化したことが考えられます。例えば根を土の中に張り、葉や茎の一部を空中にまで伸ばす抽水植物のオモダカやカンガレイは沿岸の水深が浅いところでないと育ちません。あるいはササバモ、コウガイモといった水底で育つ沈水植物も、水深が深くなると日の光が十分に届かなくなり、育たなくなってしまいます。さらに周辺から汚れた水が流入することによって従来からの水草は減っていきました。その一方で生命力の強いホテイアオイやオオカナダモといった外来種の侵入によって、従来からの水草は次々と姿を消していったのです。また、近年は外来種の湿地植物であるナガエツルノゲイトウや、生態系、農林水産業などに害を与える外国起源の特定外来種で抽水植物のオオフサモなどが繁茂しています。

手賀沼で目につく水草は抽水植物のヨシのほかマコモ、ヒメガマで、印旛沼ではヒシもたくさん見られます。

ナガエツルノゲイトウは南アメリカを原産地とする植物で乾燥にも堪えることができます。水面を覆うように繁殖するため舟の通行を妨げたり、在来の水草にも悪影響を与えます。

かつて豊富な漁獲量を誇っていた印旛沼

 現在の印旛沼では36種類の魚類が確認されています。ただし、オオクチバス(ブラックバス)やブルーギルといった海外から移入された魚や、もともと印旛沼にはいなかったのが国内の他の水域から移入された魚類なども12種確認がされています。魚類ではありませんが人の生命・身体に害を及ぼす特定外来種のカミツキガメも増えています。
 かつて、印旛沼では漁業が盛んで、魚の種類に合わせて25種もの漁具や漁法があったとされていますが、いまでは張網、船曳網、竹筒、刺網,置針など数種類の漁法がおこなわれているだけです。
 漁獲量は明治時代の末頃には200t以上あり、昭和56年(1981年)には1,000t近くの漁獲量となりましたが、その後は減っていき、平成16年(2004年)には81tにまで減少しています。魚の種類としてはコイ、ウナギ、ナマズ、ドジョウ、フナ、ボラ、ハゼ、シラウオ、モツゴ、利根川を遡上して来たサケ、ウグイの仲間であるマルタ、他にもエビ、モクズガニ、マシジミなど多様な魚介類がいました。エビもかつては佃煮の原料としてテナガエビが中心でしたが、現在ではスジエビに代っています。
 印旛沼からは姿を消してしまっていますが、メダカ、ホトケドジョウ、シマドジョウ、ヌカエビ、サワガニは周辺の水路や沼の水源にもなっている谷津などに生息しています。沼の水質が改善されれば沼でふたたび見られるようになるかもしれません。

手賀沼では、かつてオイカワ、ヤリタナゴ、ニゴイ、タモロコなどがよく見られました。現在でもゲンゴロウブナ(左)、ワタカ(右)はよく見ることができます。

印旛沼では佃煮の原料とするエビやクチボソ(モツゴ)の漁がおこなわれています。

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