内宮の御神体は三種の神器の1つである八咫鏡(やたのかがみ)です。日本書紀によると、天照大御神はもともと宮中に祀られていましたが、その後、第11代垂仁(すいにん)天皇(在位紀元前29年~72年)の皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)が奈良、三重、岐阜の各地を巡った末、伊勢の地に天照大御神を祀ったとされています。
外宮が創建されたのは内宮よりも約500年後とされていますが、宮川とその流域は神宮と深く関わってきました。「お白石持行事」の白石は宮川で集められます。遷宮の時、外宮に使われるヒノキは宮川を使って運ばれていました。
神宮のある伊勢市の西北に隣接する多気郡明和町に斎宮跡があります。斎宮には天皇に代わって神宮に仕える、皇族の中から選ばれた女性、斎王が住んでいました。斎宮には100以上もの建物が建ち並び、500人以上の人々がいたとされます。その離宮院のあった場所も宮川のすぐ近くです。
宮川を40km遡り、さらに支流の大内山川の上流へ向かったところには内宮の別宮である瀧原宮(たきはらのみや)と瀧原竝宮(たきはらのならびのみや)があります。
内宮の森に凛として聳え立つヒノキの巨木。かつては神宮の背後の森にはこうした巨木が生い茂っていたのでしょう。
左:宮川中流域の集落。川と山に挟まれて、人々の営みの場があります。
右:宮川の支流の一つである大内山川沿いにある内宮の別宮である瀧原宮。ここの正殿も式年遷宮によって建て替えられます。
宮川を上流へと遡ると大台町です。宮川が町の中央を西から東へと流れています。大台町の年間平均降水量は約3,000mm、上流域は5,000mmにも達することがある日本有数の多雨地帯です。周囲は1,000m級の山々と、豊富な雨によって削り取られた急峻な地形で、集落と耕地が谷間に点在しています。
最上流域の大杉谷は日本でも有数の渓谷です。式年遷宮で用いられる御用材を調達する山は御杣山と呼ばれています。遷宮がおこなわれるようになった当初の御杣山は神宮の近くでしたが、遷宮には1万本以上ものヒノキが使われます。やがて適材が少なくなり、三河(愛知県)や美濃(岐阜県)へと移っていきました。
大杉谷が御杣山となったこともありましたが、江戸時代からは、尾張徳川家が所領する木曽(長野県)が御杣山となりました。
神々が住んでいそうな雰囲気を漂わせる宮川上流域の山。かつて、この山奥から遷宮に使われるヒノキが伐り出されていたことがありました。
国土交通省では一級河川を対象とした水質調査をおこなっています。その中で、年間の平均的なBOD値が最も良好な河川を選定しており、宮川はこれまで11回も全国1位を記録しています。
宮川が日本一きれいな流れとなっている理由は、いろいろと考えられます。雨が多いということもその一つでしょう。大台ケ原や大杉谷などのように、人が容易に近づくことができない地形によって豊かな自然が残されたということもあるでしょう。さらに平野部を流れる宮川は、川底が周辺よりも高い天井川になっています。そのため生活排水の混じった市域を流れる中小河川の水が流入しにくくなっているのです。しかし、宮川は外宮の禊の場であり、遷宮の時に河原から白石を集めていた神聖な場所であったということも、人々が川を大切に守ることになったはずです。