水の話
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水環境をきれいにする取り組みの歴史

瀬戸内海環境保全臨時措置法の制定

 全国総合開発計画構想によって、のどかで美しい風景を誇る瀬戸内海も変化していました。1960年代から1970年代にかけて、瀬戸内海周辺には産業や人口が集中し、瀬戸内海の水質が急速に悪化していました。赤潮などが頻繁に発生し、養殖漁業に大きな被害が出るなどしていました。そこで水質汚濁防止法の特別法として瀬戸内海環境保全臨時措置法(瀬戸内法)が昭和48年(1973年)に制定されます。
瀬戸内海は日本で最初の国立公園に定された地域の一つです。たくさんの小島が浮かび、漁業資源も豊富です。瀬戸内法は、将来にわたり美しい自然景観と水質の保全をしていくことを目的としています。水質汚濁防止法が工場及び事業場から公共用水域に排出される水を規制することで国民の健康の保護と生活環境の保全を目的にしているのに対し、瀬戸内法は自然景観の保全も目的にしていました。なお、この法律では大阪府も瀬戸内法の規制がかかる自治体の一部として扱われています。
瀬戸内法では海の環境保全にさまざまな対策が講じられることになりました。CODの規制はもちろん自然海浜の保全対策、埋め立てをおこなう場合の特別な配慮といったことも取り上げられています。


明石海峡大橋
本州と淡路島をつなぐ明石海峡大橋。橋の向こう側が大阪湾です。

甲子園浜
兵庫県西宮市の甲子園浜は阪神間に残された砂浜、干潟、磯がある海岸です。



濃度の規制から総量の規制へ

 閉鎖性水域に放流された汚水は外洋へ運び出されずに留まりやすいため、その水域の水質はどんどん悪化していきます。流入する汚濁負荷物質に対する規制を強化すれば水質は改善するはずです。ところが水質汚濁防止法などの規制によって工場廃水は基準をクリアするようになったにもかかわらず、思うように水質の改善は進みませんでした。
理由は閉鎖性水域の富栄養化でした。それまでの排水規制は濃度による規制のため、汚濁負荷物質の絶対量が減少しているわけではありませんでした。むしろ絶対量としては増えていたのです。
例えば、10mLの牛乳を100mLの水で薄めた場合の濃度は約9%です。
100mLの牛乳を1Lの水で薄めても濃度は同じ約9%です。濃度だけの規制では、汚濁負荷量の絶対量が増えたとしても水で薄まれば規制値を超えることはなくなります。これでは汚染物質の量が増えるだけで水質改善はできません。
昭和53年(1978年)に瀬戸内法が恒久法となり、水質汚濁防止法も改正されます。そしてCODに対し水質総量規制が加えられることになりました。つまり流入する汚濁負荷物質の絶対量を減少させようということです。総量規制が対象とする水域は東京湾、伊勢湾、瀬戸内海です。
なお、閉鎖性水域である湖沼については昭和59年(1984年)に湖沼水質保全特別措置法(湖沼法)が制定されています。


川
かつて海の汚染の大きな原因として、沿岸部の工場廃水がありました。しかし今では家庭排水が川を経て海を汚す大きな原因となっています。


削減目標






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