越前和紙で知られる福井県今立町。とくに有名なのが奉書紙です。これは室町時代から江戸時代まで、幕府の公用紙として使われたため「奉書」と呼ばれるようになりました。また、明治政府が現在のお札の元ともいえる太政官札用の紙を漉かせたのもこの地でした。そして明治8年に大蔵省紙幣寮に抄紙局(しょうしきょく)が設けられたとき、紙幣用紙を製造するために紙漉きの技術指導にあたったのが、今立の人たちでした。そうした縁もあり、大正12年には、今立町にある大滝神社の紙祖神「川上御前」が大蔵省印刷局抄紙部に分祀されました。以来、川上御前は全国の製紙業の守護神とされています。
大滝神社の奥の院の一つである岡太(おかもと)神社にお祀りしてあるのが紙祖神「川上御前」です。神社のある場所は岡本川と呼ばれる川の源流部に当たります。その昔、岡本川の宮ヶ谷に美しい女性が現われ「ここは谷間で田畑が少なく暮らしにくい。しかし、清らかな水に恵まれている。紙を漉けば生計も楽になるだろう」といって、薄絹を竿にかけ、自ら紙漉きの方法を教えたと伝えられています。村人が住まいを尋ねたところ「川上に住むもの」とだけ答え、姿を消しました。以来、村人はこの美しい女性を川上御前と呼び、岡太神社の祭神として祀ったのです。いまも紙漉きの家には、川上御前の姿をした分霊が祀られています。
川上御前の本当の姿は、当時の日本に機織りや製紙などの最先端技術を伝えた百済の人ではないかとされています。川上御前が当時の日本では非常に珍しい絹を着ていたということも理由の一つとなっています。一方、山の頂にある岡太神社には、もともと水の神が祀られていたともいわれています。周りには、いまも豊かな水を蓄えるブナの原生林が残されています。「水の神」と「紙の神」が融合して生まれたのが、川上御前の姿であったようです。こうしたことから、千数百年もの昔にあっても、最先端の技術は清らかな水があって初めて可能になったといえそうです。
今立町では、毎年7月の末に河濯(かわそ)祭が行われていました。紙人形や野菜で作った動物を川の神様にお供えしたのです。川は楮を晒したり、日常のあらゆる生活に利用されていたのです。
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全国の製紙業者から和紙の神様と崇められている今立町の大滝神社。この建物の背後にある権現山の頂きにある奥の院・岡太神社に、川上御前が祀られています。 |
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今立町では、紙を漉く家ならどこにも「川上御前」の像が祀られています。 |
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