水の話
 
海と川によって異なる舟の形
四方を海に囲まれた日本。かつて外国との交流手段といえば、船以外にはありませんでした。
そのため、日本は昔から造船技術が発達していたと思われています。
しかし、船が使われるのは海だけとは限りません。
日本にはたくさんの川が流れ、さまざまな舟が利用されてきました。

現代までつくられていた丸木舟
川舟 人が最初につくった舟は丸木舟だと言われています。太い丸太を刳(く)りぬいただけの舟で、日本の縄文時代の遺跡からも数多く発掘されています。このことから、ほとんどの人は、丸木舟は非常に原始的な、大昔につくられていた舟だと考えているようです。
1本の木から丸木舟をつくったならば、舟の長さは丸太の長さ以上にはできません。もっと長い舟をつくろうとしたならば、舟を前後で半分に切り、その間に刳りぬいた木を継ぎ足せば、元の木よりも長い舟をつくることができます。また、舟を縦に切り、その間に板を入れて継ぎ足すことによって元の丸太よりも幅の広い舟をつくることができるのです。これらの舟も、丸木舟あるいは丸太舟とか刳りぬき舟と呼ばれています。こうして何枚もの板を組み合わせ、より大きく複雑な構造の舟がつくられるようになっていきました。
丸木舟をつくるのには、太くて長い木が必要です。日本では丸木舟が縄文時代以来、何千年もの間使われていました。丸木舟は複雑な構造をした舟よりも丈夫で長持ちするということもありますが、日本は大きな木に恵まれていたことも長年にわたりつくり続けられてきた理由のようです。13~14世紀頃まで、日本では丸木舟を基礎としてその上に板を立てて喫水線を深くするような構造の舟のつくり方が基本でした。しかも、つい最近まで丸木舟そのものを使って漁などを行なっている地方もありました。
日本では古くから造船技術が発達していたように思われていますが、実は明治時代に西洋の造船技術が導入されるまで、外洋を航海するのに十分な構造を備えた舟はほとんどつくられてはいませんでした。徳川幕府が諸大名の水軍力削減のために大型舟の建造禁止と、鎖国政策をとったためです。千石船の俗称で知られている弁才船(べざいせん)も、たくさんの荷物を積めるように江戸時代には大型化しましたが、毎年かなりの数の商船が遭難したといわれています。

舟底の形で変る川舟と海舟
 丸木舟の横断面は「U」の字の形をしています。川で使われている舟も同じ形です。それに対し、海で使われる舟の横断面は「V」の形、つまり尖った底の形をしています。川舟と海舟との一番大きな違いは、実はこの舟底の形にあるのです。
川には流れがありますが、波はほとんどありません。逆に、海には波がありますが、川のような流れはありません。海の上を進むには、波を切って進む必要がでてきます。海舟の船首部分の形は波を押し分けて進むことができるように鋭角となり、そのまま水中にまで続いています。舟底を「V」の形にすると、喫水線が深くなり、舟は安定します。しかし、水深の浅い場所では舟底がつかえてしまい、かえって使いづらくなってしまいます。川はいたるところに浅瀬があるため、舟底をなるべく平らにした方がいいのです。
船首部分が鋭角になっているように見える川舟もありますが、よく見ると鋭角となっているのは水面から上の部分だけの場合がほとんどです。岐阜市内近辺を流れる長良川で使われる漁舟は、舟の前方が反り上がった形となっているため、船首から3分の1くらいのところまでの舟底が水面の上に出ています。しかも船首部分は平らになっています。舟底で水面を滑らせるようにして進むのです。川や湖など、主に海以外の場所で使われる舟は基本的に舟底が平らになっています。琵琶湖で使われている舟も、川に比べれば波があるため船首部分は鋭角になっていますが、舟底は丸みを帯びた平らな形になっています。
へ先部分 川舟に限らず、日本の木造船をつくるための図面はありません。寸法は、すべて舟大工の頭の中に入っています。へ先部分が反り上がっているのも川舟の特徴の一つです。水を切って進むのではなく、舟底で水面を滑るようにして進むためです。しかし、こうした反りをつけることが、舟を作るときに一番難しい作業だと舟大工は語っています。反りが大きすぎると不安定となり、小さいと水の抵抗が大きくなってしまうからです。

細長い漁舟1 細長い漁舟2 細長い漁舟は安定性よりもスピードを重視したつくりになっています。
へ先の出っ張りは、錨をくくりつけるためのものです。へ先から錨を降ろせば、舟は流れに沿って平行の位置でとどまります。
細長い漁舟3


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