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水路としての琵琶湖で活躍した丸子舟 |
琵琶湖では、かつて丸子舟とよばれる舟が湖面を往来していました。主に荷物の運搬や交通の手段として活躍した舟です。丸子舟は丸木舟とか丸太舟ともよばれていました。丸木舟を真似してつくられていたからだとか、舟の側面に丸太を2つに割ったオモキ(重木、面木)という部材が使われているからだといわれています。丸子舟は複雑な構造をした舟として分類されますが、その構造をよく見ると、丸木舟(刳舟)から発達してきたような部分も感じられます。丸木舟を縦に切り、舟底の間に板を継ぎ足していくことによって、より幅のある舟となっていきます。丸子舟の側面にあるオモキは、舟のバランスをとる役目を持っていますが、もともとは丸木舟の名残ではないのかというのです。
丸子舟は琵琶湖を代表する舟でした。琵琶湖は日本海と京都・大阪をつなぐ重要な物資運搬の経路であり、江戸時代には千隻以上の丸子舟が湖面を行き来していました。大きさは80~100石(10トン前後)くらいでしたが、中には400石という大型の舟もあったということです。湖面を進むときは帆を立てました。船首部分にはダテカスガイとよばれる模様があり、丸子舟の特徴の一つとされています。もともとは木造舟のため、板と板との継ぎ目からの漏水を防ぐための工夫から考え出されてきたものです。
ダテカスガイとは、板と板との継ぎ目にマキの木の皮を詰め、その上から銅板で押さえたものです。さらにその銅板を押さえるために短い銅板で止めていきます。色が黒いのは、腐食防止のために墨と菜種油を練ったものを塗っているからです。FRPでつくられた舟にも、ダテカスガイのある舟が見られます。しかし、これは単なる飾りとしてつけられているだけです。琵琶湖で使われていた木造舟には、丸子舟と同じようなダテカスガイの施されたものがたくさんあります。普通、舟の側面の板はそのまま船首部分まで伸びていますが、琵琶湖の舟の船首部分は側面とは別のヘイタと呼ばれる斜めの板が何枚も取り付けられています。船首部分までを1枚の板でつくろうとすると、へ先部分を曲げるために舟全体が細くなってきます。しかし、ヘイタを使うことによって、船首部分まで広くすることができ、荷物もたくさん積めるようになってきます。
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琵琶湖で使われていた漁舟。魚を取るための舟といっても、地域や漁法によって形が少しずつ変っています。 |
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かつて琵琶湖の水運を担っていた丸子舟。一番外側に取り付けられている丸太を半分に切ったものが重木(おもき)です。重木の材質は杉で、木の周辺にある柔らかく白い部分を取り除き、水に強い中の赤い部分だけが使われます。舟に沿って湾曲させてありますが、火などは全く使わずに物理的な力だけで曲げられています。船首部分の黒く見える模様がダテカスガイです。
丸子舟は帆を上げて進みました。夫婦で舟に乗ることも多く、帆を操るのは主に女性の仕事でした。2本の網をそれぞれ両手でもち、風向きにあわせて帆の向きを左右に変えて進みます。横風でも、舟を目的地に向けてジグザグに進行させるのはヨットと同じです。ただし、横風のときは舟の側面から板を水中に垂直に入れて、舟が流されないようにします。 |
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