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港といえば、海につくられた船の発着場のことを指すのが一般的です。
しかし、川にも「みなと」はありました。この場合は湊と書かれることが多く、港と区別して川湊と呼ばれることがあります。
灯台が備えられている湊もたくさんありました。それだけ川を使った人や物資の輸送が盛んであったということです。 |
昔と変らない姿の川舟 |
岐阜市内を流れる長良川に、いまも使われている渡し舟があります。それも県道の一部となっています。「小紅(おべに)の渡し」の名前で市民から親しまれ、毎月21日に開かれる弘法様の縁日のときは、大勢の人がこの渡し舟を利用しています。料金は無料で渡しが休みのときは赤い旗が立てられています。舟が対岸にいるときは、大きな声で呼べばこちら岸に迎えにきてくれます。舟にはエンジンが取り付けられています。竿を扱うのは、岸辺に着いたときくらいです。船頭さんの仕事は随分楽になったものと思われますが、木造の舟そのものは何十年前と同じです。
国内での商品流通が盛んになるのは江戸時代に入ってからです。それを支えたのが船舶による輸送で、造船技術と経済は同時に発展していきました。しかし、発展したのは海舟の方で、川舟は明治時代まであまり大きく発展することはなかったようです。商品流通が盛んになったとはいえ、基本的には現代のような大量消費の社会ではなく、地方では自給自足的な経済が中心でした。地方での輸送を担っていたのは、主に人の背中や牛馬でした。明治時代以降になって、やっと荷馬車が通れる道が整備されたという地方はたくさんあります。
山間部の産業といえば、木材や木炭です。これらを出荷するときに利用されたのが川でした。しかし、日本では急流となっている川が多く、舟を簡単に使うことはできせんでした。木材の場合は、丸太のまま川へ流し、それを下流で集め筏に組みました。薪として使われる雑木を70センチほどに切った段木(だんぼく)も、やはり直接川に流し、下流で集めました。
舟運が利用されたのは、主に中流域から下(しも)にかけての地域です。それも江戸時代に入ってからの地域が多いようです。運ばれたのは、木炭、石、和紙、生糸、米などそれぞれの地域の産物なら何でもありました。
岐阜県を流れる揖斐川も同様で、上流から河口部までの舟運が盛んになったのは江戸時代後期から明治時代にかけてです。しかも、揖斐川の場合、上流部からは「奥行舟」という比較的小型の舟で運び出し、次に「せどり舟」という中型の舟に積み替え、最後に「親舟」に積み替え、河口や湾岸の都市へ運搬していました。
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いまも県道の一部として使われている岐阜市内の「小紅の渡し」。300年以上前から旅人や住民たちにとっての重要な交通手段として利用されています。 |
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竿は三年、櫓(ろ)は三月 |
流れに逆らい、一隻の漁舟が上ってきます。結構スピードが出ています。舟の後ろには船外機が取り付けられています。いまでは、木造の川舟の多くはエンジンを動力としています。漁舟はエンジンを停止すると、竿を使い岸辺の方へ向かってきます。船首部分から錨を川へ投げ込むと、舟はゆっくりと流れに対し平行になりました。エンジンを使っていても水深の浅い岸辺の近くや舟着き場などでは、竿の方が舟を制御しやすいようです。
川舟で川を下るときは櫂(かい)を操り障害物などを避けながら流れに乗るだけです。川を遡るときは、流れが緩やかならば竿を使いますが、流れが強ければ帆を上げて風の力を利用したり、舟に綱をつけて岸辺から人が引きました。
川舟を動かす道具には、竿、櫂、櫓などがあります。竿は長い竹の棒の先で川底を押して舟を進めます。当然、水深が深くなれば使えません。櫂はボートのオールの柄の部分を長くしたような形で、漕ぐことよりも舵として使うのが普通です。櫓は櫂の柄の途中で「へ」の字型に曲がったもので、これを水中で8の字を描くようにして舟を漕ぎます。川舟には竿と櫂が用意されているものが多いようです。水郷地帯や田んぼの水路など、流れが少ない場所では竿と櫓を使うのが普通です。
舟の動きを決めるには、舟の形や大きさも関係してきます。鵜飼で有名な長良川では鵜飼舟とその他の漁舟も同じような形をしています。しかし、鵜飼舟の方が舟をより軽くするため、薄い板でつくられています。鵜の機敏な動きに合わせて舟を操作しやすくするためです。また、舟の動きが激しくなれば、水を被りやすくなってきます。そこで舟の側面が垂直に近くなっています。鵜飼を川の上から見物するための遊覧舟も昔ながらの屋形舟が使われています。こちらはたくさんの人を乗せ、ゆっくりと鵜飼を鑑賞するために、舟へりを膨らませ安定もよくしています。ただし、鵜飼舟のようなスピードは出せません。
同じ長良川の漁舟でも上流の方では、舟の長さが短くなっています。川幅が狭く、流れも速くなるため、舟が長いと回転しにくくなるからです。意外と簡単そうに見えて難しいのが竿の扱い方で、舟の一方の側面から竿を出すだけで直進できるようになるまでは三年の経験が必要だと言われています。それに対し、櫓は三月も練習すれば一人前になれるといわれています。
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鵜飼で有名な長良川では、いまも落ち鮎漁に川舟が使われています。地元の漁師は、漁舟のことを笹舟とも呼んでいます。河原の石などの輸送用として使う舟も笹舟と呼んでいますが、輸送用の舟に使われる板は厚く丈夫につくられています。 |
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揖斐川でも川舟を使った漁が行なわれています。ここでは投網や刺網を使ってサツキマスを取っています。 |
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