用水路の水源は谷川や沢です。八幡町の上水道も犬啼谷(いなきだに)上流で湧き出る水が使われています。犬啼谷の上流ではかつて天然氷を作る氷田がありました。万延2年(1861年)の夏、猛暑のため八幡城主の奥方をはじめ多くの町民が病を患いましたが天然氷によって救われたため、氷田が作られるようになりました。その後昭和30年代まで氷田で氷が作られ町の特産品の一つに数えられていました。やはり水の良さが氷の品質にも現れていたのでしょう。
用水は生活の中で様々な用途に使われてきたため、昔から水を大切にしようという住民意識がありました。いまも道端ではパイプや竹樋などで引いてきた湧き水や沢水を溜める水舟を見かけることがあります。昔は板で風呂桶のように作るか、丸太を刳り貫いて作られていましたが、いまではコンクリート製に替わったものもあります。八幡町ではその水舟が一つだけではなく、複数が段状に組み合わされています。一番上の水舟は飲用にします。次の段は食べ物を洗うのに使います。その下の水舟は食器などの洗い物に使います。さらに水舟の下にはコイなどの魚が泳いでいる小さな池が作られているものもあります。野菜クズなどは沈澱したり魚のエサとなり、汚れが用水の中に入るのを防いでいるのです。
そんな水との深い係わりをもった八幡町ですが、昭和50年代には町を流れる吉田川や小駄良川の水が汚れかけたこともありました。川を汚すことは、そのまま町民の生活を破壊することにもなりかねません。そこで台所の排水口にネットを被せてゴミを取り除き、油で汚れた食器は紙などできれいに汚れを拭き取ってから洗うなどの運動が行われました。
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八幡町の中を流れる用水。自動車などの増加で、用水の多くはふたをされていますが、昔はこの水が生活用水として使われていました。 |
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