水の話
メニュー|1 2 3 4 5 6次のページ
 
豊かな流れが育んだ城下町
木曽の山間を流れてきた木曽川の急流は、犬山市の辺りから穏やかな表情に変わります。左岸の小高い山の頂上に優美な姿の天守閣が聳えています。白帝城の名を持つ国宝犬山城です。江戸時代の儒学者・荻生徂徠(おぎゅうそらい)が中国の長江沿いに建つ白帝城になぞらえて名付けたといわれています。この辺りから上流の木曽川は「日本ライン」とも呼ばれています。

木曽川によってつくられた濃尾平野

 長野県の木祖村に源を発し、伊勢湾までの約229kmを流れ下る木曽川。日本で7番目の長さを誇る川です。中流域に当たる愛知県犬山市辺りでの平均流量は毎秒169m3に及びます。長良川、揖斐川とともに木曽三川の一つに数えられています。
本州のほぼ中央部、岐阜県(美濃)南西部から愛知県(尾張)北西部にかけて日本で2番目の広さを持つ平野が広がります。美濃と尾張にまたがるところから濃尾平野と呼ばれています。この平野は木曽三川によって運ばれた土砂のたい積によってつくられた沖積平野です。川は上流から肥沃な土も運んできます。
木曽川の源流は長野県南西部の標高2,446mの鉢盛山です。霊峰御嶽山の雪解け水を集めた王滝川などと合流し、険しい山々の間をうねりながら流れています。途中には五街道の一つ中山道の難所であった木曽の桟(かけはし)、寝覚めの床といった名所・旧蹟があり、近代になってからは豊かな水量を利用して電源開発のために多くのダムもつくられてきました。
岐阜県美濃加茂市から犬山城の辺りまでは日本ラインとよばれ、観光客を乗せたライン下りの船が渓谷美を楽しませています。日本ラインの名称は大正9年(1914年)にこの地を訪れた地理学者の志賀重昂(しげたか)が木曽川下りを楽しんだ折に、ヨーロッパのライン川に風景が似ているとして命名したとされていますが、それより以前の明治12年(1879年)頃に、木曽三川の分流工事等を行ったオランダの土木技師デ・レーケが犬山城下の木曽川の風景がライン川を連想させると語っていたといわれています。


犬山城
木曽川を天然の要塞としてつくられた犬山城。難攻不落の城といった戦国時代のイメージよりも、ゆったりとした木曽川の流れと調和した城の美しさに目を引かれます。
木曽の御嶽山
遠くに見える雪をいただいた山が木曽の御嶽山。雪解け水は沢や谷を作り、やがて木曽川に合流します。そして下流の地域を潤します。

木曽川 地図
木曽御嶽山や中央アルプスの山々からの水を集めた木曽川は、たくさんの渓谷をつくり伊勢湾へと流れ下っていきます。木曽の山から切り出された檜なども、かつては筏に組まれてこの急流を下りました。


何本にも枝分かれしていた木曽川

 美しい渓谷美を形づくりながら流れてきた木曽川の流れが穏やかになるのはライン下りの終点近くの犬山城の辺りからです。渓谷を抜け出た木曽川が形成した扇状地の上にできた街が犬山市です。犬山市は扇状地を形成する扇の要の部分に当たります。扇頂部付近の標高は約40m、ここから河口までは直線距離にして約40kmです。
いまから数100万年前、現在の濃尾平野一帯は東海湖と呼ばれる大きな湖でした。そこへ木曽の山々から土砂が運ばれ、あるいは地殻変動や氷河期の到来などによって東海湖は消滅し、陸地が形成されていきました。現在のような陸地になったのはさらに新しく、数1,000年前のことです。
現在の木曽川は1本の大きな流れになっていますが、かつては幾度となく氾濫を繰り返していました。その氾濫によってつくられたのが濃尾平野です。近代的な堤防が築かれる前の木曽川に明確な本流はなく、犬山市を出るといくつもの川に枝分かれし、それぞれ一の枝、二の枝、三の枝などと呼ばれていました。犬山市の西に江南市があります。田園風景の広がる平坦な地形です。ところが気をつけて道路を走ってみると、緩やかな下りと上りになっている場所があります。下り道の下がかつて木曽川の枝流であったところです。
さらに下流部では長良川や揖斐川と合流していました。現在ではこれら3本の川は別々の川となって伊勢湾へ流れ込んでいますが、江戸時代までは互いに合流したり分流したりして、網の目のように複雑に絡みあって流れていたのです。3本の川は東から木曽川(229km)、長良川(166km)、揖斐川(121km)の順で並び、このうち木曽川が最も多くの水量を誇っています。肥沃な土によってつくられた平野と豊かな水は農業にも適した大地をつくってきたのです。
水量だけではなく川によって運ばれる土砂の量が最も多いのも木曽川です。そのため、3本の川床の高さは木曽川が一番高く、長良川、揖斐川の順に低くなっていきます。木曽川の東は徳川御三家の一つ尾張徳川藩の領地です。ここを洪水から守るため、木曽川の堤防は西側を低く、東側を高くつくられていました。一度大雨になれば西側の揖斐川から洪水になったのです。


濃尾平野
眼下に広がる日本で2番目の大きさの濃尾平野は木曽三川によってつくられた平野です。かつての木曽川は1本の大河ではなく、いく筋もの流れにわかれていました。


メニュー|1 2 3 4 5 6次のページ