幕末から明治にかけて日本を訪れた多くの外国人が、江戸の町をはじめとした大都市にヨーロッパのような下水道がないにもかかわらず、清潔であることに驚いています。当時の江戸の人口は世界でも有数の約100万人規模であったと推定されています。現在、同じような規模の都市としては福岡県北九州市や広島県広島市があり、人口順位でいくと日本で10番目前後となります。
これだけの規模の人口を養うには、食料品の供給はもちろん、生活排水の処理も重要になってきます。現代日本で下水道のない100万人規模の都市など考えられません。それにもかかわらず江戸の町は清潔に保たれていました。
実は生活排水の中で、し尿は他の排水とは分けられていました。炊事や洗濯からの排水は人家の横に掘られた溝を通って中小河川などへ流されましたが、し尿は田畑の肥料としての役目を持っていたため、人の手によって都市の中から運び出されていました。
溝などへ排水される台所や風呂などの生活排水の量や汚れの程度は、現代に比べはるかに少なかったと考えられます。油脂分の少ない食生活で、食べ残すということもなく、米のとぎ汁は使った食器を洗い、さらに庭や道に撒くというリサイクルがおこなわれていたからです。
また、自宅に風呂のある民家はわずかしかなく、多くの人は銭湯を利用していました。しかも銭湯で使うお湯の量はかなり制限されていました。 |