近江八幡で背割排水がつくられたのとほぼ同じ時期につくられ、今も現役として使われている下水道が大阪にあります。大阪の町は豊臣秀吉が1583年(天正11年)からはじめた大坂城築城にはじまります。このとき、近江八幡と同じような背割下水(背割排水)が計画され、1598年(慶長3年)に整備されました。規模は近江八幡のものよりも大きく、幅の大きいところでは1.8メートルから3.6メートルにも達しています。当初は素掘りの開渠でしたが、後に石垣が施され、石の蓋が取り付けられたところもあります。
この下水は豊臣秀吉にちなんで太閤下水と呼ばれています。江戸時代を通じて拡張、整備が続けられ、現在でもその一部が現役の下水道として使用されています。もちろん太閤下水を通った排水は、現在では下水処理場へ流されています。 |