水の話
 
暮らしの中の水草

100年を経てより美しくなる葦製品
 西の湖に生えているヨシには、一面が青々としたヨシ原と、茶色に立ち枯れたヨシの混じったヨシ原とがあります。青々としたヨシ原はヨシ地焼きなどの手入れがされているところでしょう。ヨシの茎は、成長しても竹の子の皮のような葉鞘にすべてが包まれた白口葭と、途中までしか包まれていない赤口葭とがあります。赤口葭は、使い方によって葦簾や葦戸にきれいな模様を描き出します。その模様は100年以上経っても変色しないどころか、むしろ味わい深い色となっていくのです。

ヨシを使った葦簾や葦戸といった家具は、かつての日本の住まいでは重要な意味をもっていました。夏の日差しを遮り、住まいの風通しを良くしてくれたのです。そうした合理性だけではなく、蒸し暑い日本の夏を涼しげに美しく演出する素材としてもヨシは適していたのです。良質なヨシで作られたこうした家具は大切に扱えば100年以上も使うことができるのです。
葭場
刈り取られたヨシは「葭場」で風乾され、長さを揃え、品質や用途によって選別されます。

家 茅は縄文時代からすでに屋根材として使われていました。瓦が普及しだしたのは、防火を目的として江戸幕府が奨励してからのことですが、高価な瓦を使うことができたのは限られた都市住民だけでした。茅の中でもヨシで葺かれた屋根は100年は風雪に耐えられるとされています。こうしたヨシを屋根材とした家はヨーロッパ、中近東、南アメリカなど世界中でも広く見られます。

ヨシとともに歩んできた日本人の暮らし
 日本のことを古くは“豊葦原の瑞穂国”と呼んでいたことからも分かるように、各地にヨシの原が広がっていました。ヨシの繁る湿原は、同時に稲作にも適した地であったのです。ヨシは豊かな実りを約束してくれる植物と考えられていたのです。その証拠として、ヨシの付く人名や地名が、いまもたくさん残されています。ただし、この場合はヨシには葦、芦(蘆)、葭などの字が使われています。しかし、良、喜、義、慶、佳、吉、嘉、佳、美、芳などヨシと読ませる字は非常にたくさんあります。東京の吉原は葦の原に遊廓を築いたことから名付けられといわれています。地名としての吉田は豊かな実りを求めて付けられたといわれていますが、その元は葦(ヨシ)であったのかも知れません。

ヨシはまた、様々な信仰とも結び付いています。夏になると茅の輪くぐりが各地の神社で行われます。茅の輪とは茅(ヨシやススキ)を束ねて作った大きな輪で、この輪をくぐると健康に過ごせるというものです。五月の節句に食べる粽を巻く葉にも蘆粽として古くから用いられてきました。正月に縁起物として神社で売られている破魔矢にもヨシが使われています。昔の人はヨシに不思議な霊力を感じていたのです。それはヨシのもつ強い生命力や、漢方薬としての効用などによるものかも知れません。

 ヨシのもつ不思議な霊力は、いまも衰えることはありません。なによりも生命の源である水をきれいにしてくれます。ヨシの根元を数10cm掘ると、そのまま手にすくって飲めるほど、きれいな水が溜まるそうです。とくにヨシが十分に生育した9月から10月にかけては顕著になるというのです。

長い歳月を人の歴史とともに生きてきたヨシやイ草。自然保護と同時に文化を守るという意味からも大切にしていかなければなりません。
葭場
ヨシは4月に新しく芽が出ると、水中の有機物をどんどん吸収し、2~3ヶ月で2m近くまで成長します。刈り取りの時には3m近くまで伸びています。


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