水の話
 
塩は日本中でつくられていた

海さえあればどこででもつくれる塩
海 では、日本ではどのようにして塩を調達してきたのでしょうか。縄文時代の遺跡は、海辺から発見される例がたくさんあります。海水から直接塩分を取ることができるということも、海辺に住んだ理由の一つだと考えられています。一方、塩が取れない山間部では、鳥や獣、魚などの内臓や骨髄を食べることによって、塩分を補給していたと考えられます。
海水から塩をつくる方法としては、最初は自然に蒸発させてできた塩の結晶を利用し、次に海水を煮詰めるようになったと考えられています。海水を煮詰めていたと思われる縄文時代の土器も出土しています。燃料である薪さえ容易に入手できるならば、海水があるところなら、どこでも塩をつくることが可能です。東北地方では、明治時代まで海水を直接煮詰めるだけの方法で塩をつくっていた地方もありました。
しかし、海水を煮詰めるという方法では効率よく塩が取れません。塩分濃度を濃くしてから煮詰めた方が効率的です。万葉集などに「藻塩(もじお)」という言葉がでてきます。これは海藻に海水をかけて乾燥させ、それを燃やして灰と一緒に塩をつくったり、海水をかけて乾燥させた海藻にさらに海水をかけて濃縮した塩水を抽出してから煮詰める方法です。
やがて鉄釜によって一度に多量の海水を煮詰めることができるようになってきます。そこでは多量の濃縮された海水が必要となり、塩田が発達したのです。
鉄鍋
塩を焼くための浅く平らな鉄鍋。塩田で濃縮した海水をこの中に入れて下の竃で火を焚き、水分を蒸発させます。(吉良町歴史民俗資料館)
日干し

砂を媒介にした塩田
 塩田には揚浜式と入浜式の2種類がありますが、いずれも砂浜で海水を蒸発させ、その砂を集めて海水を注ぎ濃縮します。その塩水を煮詰めて塩を取るのです。揚浜式は人為的に海水を汲み上げ砂浜に撒(ま)くという方式で、大きな労働力を必要とします。入浜式は潮の干満の差を利用した方式で、満潮時に海水を砂浜へ引き入れる方式です。入浜式塩田は、干満の差が大きなところでなければつくれません。
塩田に敷き詰められている砂の層の厚さは約1センチで砂の下は硬い土でつくられています。塩づくりは早朝に塩田へ砂を撒く仕事から始まります。入浜式の場合は満潮になって塩田が海水で満たされたところで水門を締め切り、砂と海水が流出しないようにし、自然に乾燥させます。午後には砂を早く乾燥させるためマンガ(万鍬)という道具で砂を掘り返します。地方によっては、早く乾燥させるため、砂に釜のススを撒いていたところもあるようです。乾いて表面に塩の結晶が浮かび出てきた砂は「沼井(ぬい)」に寄せ集められます。これは一種の濾過装置で、集めた砂の上から海水を注ぐと、下から塩分の濃い水「鹹水(かんすい)」が採取できます。普通の海水の塩分濃度は約3%ですが、こうして採取された鹹水の塩分は20~23%に達します。この鹹水を底の浅い平たい鉄釜で煮詰めることによって塩がつくられるのです。
しかし、このままでは苦汁が含まれているため、商品としての塩にはなりません。簀(す)の子状のものに乗せておくと、苦汁がポタポタと下に落ち、1週間で味のよい塩となります。


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