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沈下橋によって守られてきた四万十川
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対岸へ渡るため、国道からそれて川岸へと降りました。橋の上をこちらへ向かう1台の車がありました。橋のたもとで車が通過するのを待たなければなりません。橋の幅は狭く欄干もありません。橋の上から水面までは2~3mです。ときどき宅配のトラックも通過します。この橋は明らかに生活道路です。
四万十川を代表する風景は何といっても沈下橋です。しかし、沈下橋は四万十川独自の橋ではありません。高知県が平成11年に全国の1級河川とその支流を対象にして沈下橋の調査を行ったところ、410の沈下橋が保存されていることが分かりました。四万十川には本流・支流を合わせ47の沈下橋があります。高知市内の川にも国内で最初にかけられたという大正時代の沈下橋があります。高知県以外には徳島県、三重県、大分県などにも残されています。呼び名も潜水橋、もぐり橋、沈み橋など様々です。かつては全国の川にあった沈下橋が次々と姿を消していく中で四万十川の沈下橋は残されてきたのです。四万十川の景観を守ると同時に、重要な生活道路として機能しているからです。
沈下橋は欄干をなくすことによって、増水時に水の抵抗を受けにくくさせています。これによって橋が流されないようにしています。四万十川に架かる沈下橋の大部分は昭和30年以降につくられています。それまでは川舟が交通の主体であり、対岸へ渡るにはもっぱら渡し舟が利用されていたのです。しかし道路がつくられ自動車が新たな交通手段となるにつれ、橋が必要になってきたのです。清流沿いには人家がまばらに点在するだけです。それらの人家を結ぶために一般的な橋をつくるには建設費がかかり過ぎます。結局は費用が安く洪水にも耐えられる沈下橋がたくさんつくられることになったのでしょう。
もしも立派な橋がたくさんつくられていたならば、四万十川流域にも様々な開発の波が押し寄せて、清流を守ることができなかったかもしれません。その意味では、沈下橋が四万十川の象徴というのは正しいことかもしれません。 |
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沈下橋は生活道路として流域の人々にとって今もなくてはならない存在です。 |
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