四万十市の人たちは自然に対して寛容です。四万十市・西土佐地区の川沿いにある家の多くは2階建てです。大水になったときは1階にある家財道具などを2階へ運び上げます。これを「荷揚げ」と呼んでいます。かつて国道沿いには堤防の代わりにコンクリート壁がつくられていました。しかし、コンクリート壁によって隔てられてしまった四万十川は四万十川としての価値がないということで、いまではコンクリート壁を作るのは止めています。土佐の人たちは自然の脅威を力でねじ伏せるのではなく、あるがままを受け入れているのです。沈下橋が数多く残されていることもその証拠なのではないでしょうか。
四万十川の大水は一気に増水し、一気に水が引くため、長時間水に浸かることはありません。水に浸かっている時間は長くても3~4時間です。かつて旧・西土佐村は養蚕(ようさん)が盛んでした。農作物を作るスペースは河原くらいしかありません。しかし、大水の時にはせっかくの作物が流されてしまいます。そこで桑の木を植えて蚕を飼ったのです。桑の木は根がしっかりと張るので水に流されることがありません。根が張れば土も流れ去ることがなく農地を守ることができました。 |
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昭和10年に架けられた一斗俵(いっとひょう)沈下橋(四万十町・旧窪川村)は四万十川流域に現存する沈下橋としては一番古いものです。 |
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