村上水軍が戦で用いた船は3種類でした。水軍の主力となったのが戦国時代に最強の軍船といわれた安宅(あたけ)船です。大砲を備え、船体の上部には矢倉と呼ばれる装甲を施し四方に弓や鉄砲を撃つための狭間(さま)が開けられています。安宅船に次ぐ軍船が関船で、名前は海の関所の番船として使われたところからきています。通行税を払わない船を追いかけるためにスピードが出せるように細長くつくられています。そして関船を小さくした小早船(こばや)がありました。連絡や斥候用の船として使われるため機動性とスピードを優先させています。帆走もできますが主に十数丁の櫓を使って漕ぎました。今は復元した小早船を使った「水軍レース」が能島と大島との間で毎年7月に行われています。レース会場となる場所は大島側の海岸線に沿った200mの距離です。ここは潮流の影響をあまり受けない場所ですが、それでも体力を相当に消耗するとのことです。
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大島で毎年7月に開かれる水軍レース。小早船に12人が乗り200mの直線コースで早さを競います。(写真:今治市) |
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