水の話
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深海の生物も生息する不思議な湾
錦江湾とその中央部にそびえ立つ桜島。どちらも美しい名前です。穏やかな水面の上に、黒い大きな固まりが飛び跳ねました。海岸線と平行するように数回飛び跳ねて、海中へと消えました。錦江湾で昔から見られているイルカです。錦江湾は魚類が豊かで水もきれいな海です。

今も活動を続ける桜島
地図 錦江湾の意味を文字通りに解釈をすれば、金の織物のように美しい入り江ということです。その錦江湾に浮かぶ桜島は美しく優雅な形をしていますが、島の中へ入ってみるとゴツゴツとした溶岩が至る所で顔を出しています。周囲約52km、面積約80km2で地図を見ると円形に近い形をしています。しかも島と名が付いているにも拘らず東の部分が大隅半島とつながっています。
桜島はあくまでも島の名前で、この島にそびえる火山は桜島御岳(おんたけ)と呼ばれ、山頂は北から北岳(海抜1,117m)、中岳(1,060m)、南岳(1,040m)の3嶺に分かれ、南岳からは今も噴煙が立ち上っています。有史以来30回以上の噴火を繰り返し、特に文明3年(1471)から始まった数度にわたる大噴火や、安永8年(1779)から安永10年(1781)にかけての大噴火、大正3年(1914)の大噴火は有名です。そして大正3年の大噴火の時に流れ出した溶岩が桜島と錦江湾との間の幅約400m、深さ約72mの海峡を埋めて陸続きにしたのです。このとき噴出した溶岩や火山灰などの総量は約32億tにもなりました。この量は東京ドーム1,600杯分にも相当します。噴煙は高度8,000mまでに達し、火山灰はカムチャッカ半島でもみられました。
当時の噴火の凄まじさを今に伝える史跡があります。桜島東部の黒神集落の原五社(はらごしゃ)神社にある「埋没鳥居」です。高さ3mあったものが上部の笠木部分だけを残して火山灰で埋まってしまったのです。そして今も桜島はしばしば噴煙を上げています。

桜島
鳥居
黒神集落原五社神社にある埋没鳥居。大正3年の大噴火の3日前から島内の井戸水が沸騰し、海岸では多量の魚が浮き、地震が多発していたと伝えられています。黒神集落では687戸が火山灰で埋まりました。

桜島山頂
雲に覆われた桜島の山頂と大正3年の大噴火によって流れ出した溶岩によって作られた溶岩原。
河川
桜島の中にもいくつかの川が流れていますが、普段はほとんど水が流れていません。きれいに整備されているのは大雨の時の土石流を防ぐためです。



広大なカルデラによって作られた湾
 錦江湾は桜島によって湾奥部と湾央部に分けられ、さらに湾口部の3つの部分から形づくられています。湾の中で火山活動によって島がつくられたように見えますが、実際には火山活動によって現在の錦江湾がつくられたといってもいいようです。湾央部ができたのはいまから約60~70万年前です。2つの平行する正断層の間が陥没してできた地溝によってつくられたと考えられています。錦江湾はもともと湾口から桜島の辺りまでで、現在の湾奥部は陸地だったのです。
湾奥部分には桜島よりも大きな姶良(あいら)火山がありました。それが約2万5千年前に大爆発を起こし、地下にあった大量のマグマが一度に噴出したため空洞となった地下部分が陥没し、そこへ海水が流入して湾奥部がつくられたのです。この時に大規模な火砕流が発生し、それが堆積したのがシラス台地です。鹿児島ではシラスが数10mから時には100m以上もの厚さに堆積しています。
シラスは白砂とも書くように水はけが良い反面、もろく雨などで浸食されやすい性質を持っています。そのため鹿児島には急峻な崖がよく見られます。一方、桜島は姶良カルデラの南縁で成長した火山です。また湾口部には阿多(あた)カルデラがあります。
断層とカルデラによって形成された錦江湾は南北約80km、東西約20kmの細長い形をしています。そのため中国から訪れた人が大河と見間違えたという話もあるそうです。しかし単に細長いというだけではありません。湾の面積は約1,130km2で、東京湾とほぼ同じです。伊勢湾や大阪湾も広い面積を持っていますが、これらの湾の水深は平均して50m以内です。ところが錦江湾の平均水深は湾奥部で140m、湾央部で126m、湾口部で80m、最大水深は湾奥部で206m、湾央部で237mにも達します。桜島によって隔てられた湾奥部と湾央部を結ぶ海域の幅は一番狭いところで1,650m、水深は30~40mです。例えていえば大きなすり鉢を2つ並べたような形です。

シラス
鹿児島県では至る所で火砕流の堆積によってできたシラスの露出している光景をみることができます。


シラス台地
黒石森林公園から桜島を望んだ時、眼下にシラス台地が見渡せます。


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