水の話
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人の手によって守られてきた美しい風景
眼下に広々とした平地が見渡せます。その向こうには切り立った岩峰や丸みを帯びた山、台地状をした山が見えます。それぞれの山には名前がついていますが阿蘇山という名前がついた単独の山はありません。眼下に広がる平地が阿蘇のカルデラで、その周りを外輪山がぐるりと囲んでいます。阿蘇山は、これら全ての山の総称です。

たくさんの山々から成り立っている阿蘇山

 切り立った断崖の下に白とエメラルドグリーンを混ぜたような色の池が見えます。阿蘇の中岳火口です。火口の中の池は雨水によってできた「湯だまり」です。湯だまりからは水蒸気が立ち上っています。白く見えるのは水蒸気によるものです。湯だまりの水温は約60℃、火口周辺は有毒な火山ガスのため、立ち入り禁止区域に指定されている場所があります。太古の昔から幾度となく繰り返されてきた火山活動は今も止むことなく続いているのです。
阿蘇山は富士山のように一つの山のように思われますが、中央火口丘群を形成している烏帽子(えぼし)岳、杵島(きじま)岳、中岳、高岳と、外輪山の一部である根子(ねこ)岳などを総称した名称で、この5つの山をあわせて阿蘇五岳(あそごがく)と呼んでいます。さらに外輪山も含めて阿蘇山と呼ぶこともあります。
かつて阿蘇山は富士山よりもはるかに高い山で、その頂上が噴火によって吹き飛んでできたと考えられていました。しかし、実際には一つの山ではなく、たくさんの小さな山が集まって火山活動を行なっていました。今から約27万年前から9万年前までの間に、それらの火山が大噴火を繰り返しました。その時の噴火で起きた火砕流の堆積物は、山口県の秋吉台でも確認されているほどですから、いかに大規模な噴火であったのかが分かります。さらに噴火による火山灰が、北海道東部でも、10cm以上もの厚さになって積もっています。この大量のマグマの噴出によって、地下に巨大な空洞ができ、地面が陥没してカルデラがつくられました。カルデラとは直径が2km以上ある巨大な凹(くぼ)地のことです。
やがてカルデラの中に水が溜り大きな湖となり、その中央部に新たな火山が生まれました。それが現在の中央火口丘群です。湖の水は外輪山の切れ目から流れ出し、広大な湿地となりました。カルデラの中の中央火口丘群の北側の谷を阿蘇谷、南側の谷を南郷谷と呼んでいます。阿蘇谷の幅は広く平坦な地形ですが、南郷谷の幅は狭く平坦な場所は多くはありません。


阿蘇山の外輪山
阿蘇山は外輪山も含めた総称です。遠くに見えるのが北側の外輪山。右に見える中央がへこんだような山が米塚で、頂上のへこみは火口の跡です。

阿蘇五岳
阿蘇の外輪山の一つである俵山から南郷谷を隔てて臨む阿蘇五岳。眼下に広がるのが南阿蘇村で点在する建物が見えます。

阿蘇の南側の外輪山
阿蘇の南側の外輪山。北側の外輪山が平坦であるのに比べ、南側の外輪山は平坦ではありません。南側の外輪山では草原が中腹に見られます。


千年以上に渡り人の手で維持されてきた広大な草原

 カルデラの中に人が住み着き始めたのは石器時代からのようです。ただし湿地状のところは人が住んだり、畑を耕したりするのに適した場所ではありません。カルデラの中は元々が湿地のためススキなどのイネ科の植物が茂り、森林ではなかったようです。弥生時代になると湿地の一部を利用して米がつくられるようになっていきます。湿地が乾いていくにつれ人は生活圏を広げ、やがて中央火口丘群や外輪山の麓を利用するようになっていきます。さらに労働力として牛馬が使われるようになっていきます。
阿蘇の代表的な風景の一つが阿蘇五岳の一つ、烏帽子岳の麓に広がる草千里ケ浜です。ここは中央火口丘群の中にあります。草原は中央火口丘群だけでなく外輪山の至る所で見られます。阿蘇一帯の草原の総面積は23,000haにも及ぶとされています。
世界で草原のある地域は一般的に年間降水量が300mm以下の地域です。それに対し阿蘇は年間降水量が約3,000mmもあります。このような雨の多い地域では自然のままの状態で草原であり続けることはできません。阿蘇の草原は千年以上もの昔から人の手によって維持され続けてきたものです。


草千里ケ浜
阿蘇の人気スポットである草千里ケ浜は中央火口丘群の一つである烏帽子岳の麓に広がっています。ここでは観光乗馬も行なわれています。


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