水の話
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山の緑と一体となった里川
土手はそれほど大きくはありませんが、足元にはいろいろな植物が生えています。川を本来の姿に戻すと、豊かな自然が甦ってきます。川の周辺に広がっているのは林や田んぼばかりではありません。住宅地もみられます。

「里」の持つ不思議な力

 里という言葉には懐かしく優しい響きが感じられます。山里、里林、里田、里人、里宮、里桜、里雀など里の付く言葉はたくさんあり、いずれも長閑(のどか)な風景が浮かんできます。最近では里川という言葉も聞かれるようになりました。里川は新しい言葉です。また里海という言葉も使われはじめていますが、いずれも里山から発想して作られた言葉です。
ところで里山という言葉は意外にも最近まで国語辞書には載っていませんでした。文献では江戸時代に尾張藩によって書かれた書物の中に里山という言葉が出ていますが、その意味は、たんに村や家の近くにある山というだけです。ところが、現在使われている里山は人と自然が共存する林、といった意味です。こうした意味で使われるようになったのは1960年代以降で、京都大学農学部の先生が山里をひっくり返して使ったのが最初だといわれています。雑木林には、役に立たない林といったニュアンスが込められていますが、里山という言葉に置き換えることによって雑木林の価値が再評価されることにもなりました。
里山は都市の比較的近くにある自然です。ただし自然とはいっても、荒々しさを兼ね備えた大自然ではなく、人を優しく包み込む自然です。しかも燃料となる薪や炭の原料、肥料となる枯葉や下草、山菜や茸といった山の幸をもたらしてくれる自然です。だからいくら緑が豊富であっても、公園のようなところは里山とは呼ばれないのです。
こうした身近にあり、人にさまざまな恵みをもたらしてくれる自然は里山だけとは限りません。川や海を里山と同じような観点から見直そうというところから里川とか里海という言葉が使われるようになっています。



川への階段
農山村部などでは、川へ直接下りられるように階段が付けられた住まいをよく見かけました。川と人が密接に関わっていた証の一つです。


人と共存できる川

 上水道が整備されるまで、炊事や洗濯、風呂といった生活用水は主に井戸水や湧き水、あるいは川の水を消毒せずに直接利用していました。そのうちの川は生活用水としてだけでなく田畑の灌漑など大量の水を利用する時や水車を回す動力源として欠かせない存在でした。そればかりか魚を捕り、農作物や物資の運搬のための動脈にもなっていました。農村部では舟の運航の邪魔になる水草を刈り取り、田畑の肥料とすることもありました。さらに川は生活排水の放流先であると同時に大雨の時は雨水を排水し、まちや村を守る放水路としての役割ももっていました。
生活排水を流すとはいっても、かつては大切な川の水を下流の人も安心して使えるようにむやみと汚さないように心掛けていました。例えば庭先に小さな池を作り、そこへ台所や風呂場からの排水を流し込み、上澄みだけを川へ流す工夫を凝らしている農家もありました。
人と共存しながら流れる川への思いは里山と同じでした。ところが上水道の整備によって水がふんだんに使えるようになりました。鉄道や道路による陸上交通の発達により川で物資を運ぶこともなくなりました。化学肥料の普及は水草の肥料としての価値をなくしました。こうして川が持っていたいくつかの役割が薄れるに従い、排水路と放水路としての役割だけが残されました。川は汚れ、魚はいなくなり、水草も生えなくなりました。洪水を防止するため、川は高い堤防で囲まれ、できる限り早く海へ放流するように直線的に改修されました。都市を流れる川の中には蓋をされたところもありました。


河原部分
川は水の流れている部分だけが大切なのではなく、草や木の生える河原部分も重要な役割を持っています。



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