水の話
メニュー1 2 3 4 5 6次のページ
 
多様な生物がすめる環境という幸せを運ぶ鳥
かつて放棄された水田が、コウノトリを愛する人達によって湿地として復活しています。タモを入れて底の泥をすくうと、ヤゴがたくさんでてきました。これもコウノトリの餌になるのです。放鳥によってさまざまな生物が増えています。

野生復帰のための2つの施設
 コウノトリの野生復帰のための拠点として平成11年(1999年)に兵庫県立コウノトリの郷公園がつくられました。この施設の基本機能として「コウノトリの種の保存と遺伝的管理」、「野生化に向けての科学的研究及び実験的試み」、「人と自然の共生できる地域環境の創造に向けての普及啓発」の3つが位置付けられました。さらに平成12年(2000年)にはコウノトリの郷公園の中に豊岡市立コウノトリ文化館が作られ、「住民の視点に立った野生復帰事業」、「人と自然の共生できる暮らし方を考え、実践し、提示」、「コウノトリ野生復帰推進計画の普及啓発」、「コウノトリを育んできた豊岡盆地の特徴的な自然・文化の調査、保全」を担うことになりました。つまり、コウノトリの郷公園がコウノトリの立場に立ち、コウノトリ文化館は住民の立場から、コウノトリと共生できる地域づくりを進めようということです。


31年ぶりに野生のコウノトリが飛来

 コウノトリが日本の空から消えた大きな理由の一つが、明治時代の乱獲でした。コウノトリは田んぼの稲を踏み荒らす害鳥と思われていました。しかし、本当に稲作被害があったのかどうか、十分に分かっていたわけではありませんでした。そのためコウノトリを飼育場の外へ放つと、稲に害がでるのではないかと心配する声もありました。
野生のコウノトリが平成14年(2002年)8月5日に豊岡市へ舞い降りました。中国大陸から飛んできたコウノトリで、日本への飛来は実に31年ぶりのことでした。飛来した日にちなみ、ハチゴロウと命名されました。以来、約5年間に渡りハチゴロウは豊岡に留まりました。この間の調査で野生のコウノトリが田んぼを踏み荒らすことはほとんどないことが分かりました。
ハチゴロウが舞い降りた場所は、現在、戸島湿地と言われる場所です。ここはかつてジル田と呼ばれる湿田だったところです。海抜はわずか25cmです。こうした場所は地域によっては深田、泥田などとも呼ばれています。名称からも分かるように、水はけが悪く、いつも水に浸かっているような田んぼです。


戸島湿地公園
戸島湿地公園は、かつてジル田と呼ばれ圃場整備計画が決まっていましたが、野生のコウノトリが飛来したのをきっかけに、湿地として整備されることになりました。


トロトロ層で抑草管理

 コウノトリと共に暮らせる地域づくりとして最初に取り組んだことが農薬の使用を極力控える農業でした。しかし農薬の使用を中止したり減らしたりすると田んぼは雑草に覆われ、あるいは稲を枯らしたりする害虫の発生によって、米が収穫できなくなってしまいます。
除草剤を使わなければ、腰を屈めて1本ずつ草を抜き取らなければなりません。田んぼが広ければ作業は何日もかかります。最後の田んぼの草取りが終ったころには、最初に草取りをした田んぼに、また新しい草が生えています。田んぼの草取りは大変な重労働です。しかも農業従事者の高齢化が進む中、手作業での草取りはほとんど不可能ともいえました。そこでアイガモ農法や米糠を撒き、冬の間も水を張るなどさまざまなことが試みられました。
水を張った田んぼに米糠を撒くことで水田の底にイトミミズやユスリカなどの生物が繁殖し、柔らかな土の層がつくられます。この層にはイトミミズなどの糞がたくさん含まれており、トロトロ層と呼んでいます。トロトロ層が形成され、しかも水を被っていることで雑草が芽を出しにくくなるというわけです。



メニュー1 2 3 4 5 6次のページ