水の話
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多様な生物がすめる環境という幸せを運ぶ鳥

日本の空に舞い上がったコウノトリ
 「コウノトリ育む農法」は豊岡市全域に広がっていきました。円山川流域の田んぼでは水田魚道の設置や冬の湛水がおこなわれるようになっていきます。さらにドジョウ水田なども作られます。ドジョウが成育できる田んぼとするために年間を通して水を張り、水草も入れた田んぼです。
水深の深い場所や浅い場所をつくり、他の魚との共存ができるようにしたり、いろいろな水草を植えたりするなど、ドジョウが繁殖しやすいような改良が加えられていきました。しかし、ドジョウ水田に植えた水草が、近隣の田んぼにまで繁茂して、稲の生育に影響を与えないようにしなければなりません。
それでも地域を挙げてコウノトリの野生化実現に取り組み、平成17年(2005年)にはついに5羽のコウノトリの試験放鳥がおこなわれました。34年ぶりに日本で生まれたコウノトリが日本の空に舞い上がったのです。さらに平成19年(2007年)には放鳥したコウノトリのヒナが巣立ちしました。
ハチゴロウが舞い降りたジル田はすでに圃場整備計画が決まっていましたが豊岡市は地権者の協力と理解のもと、計画地の一部を湿地公園として整備することになり、平成21年(2009年)に戸島湿地公園として完成し、今ではこの湿地から多くのヒナが巣立っています。

飛ぶ姿
コウノトリの郷公園は集落と田んぼを挟んだところにあり、コウノトリを野生復帰させるための訓練もおこなっています。餌の時間になると、放鳥されたコウノトリもやってきます。


多様な生物がすめる環境は、人にとってもすばらしい環境
 コウノトリが再び大空に舞う姿を見たい、そんな願いから始まった野生復帰計画は、農業のあり方をも変えました。さまざまな知恵と工夫を凝らし、大変な労力とコストをかけてコウノトリの野生復帰に成功しました。その結果、コウノトリを見に豊岡市へ訪れる観光客の増加や無農薬でつくった米への需要などの変化がありました。コウノトリだけではなく、地域経済も活性化したのです。
環境はコストがかかり、経済とは相反するというのがこれまでの多くの考え方でした。しかし豊岡市は環境と経済は対立するものではなく、補完し合う関係だということを示しました。コウノトリにとってすみ良い環境は、人にとってもすばらしい環境になるのです。
コウノトリは農業や地域のあり方だけでなく、川や水、山や海などとの係り方を問い直すきっかけもつくってくれました。里山の大切さも実感させてくれました。人間の営みは必ずどこかで自然と繋がっています。汚した水は川へと流れ、そこをすみかとする魚や水草によくない影響を与えます。その生きものは他の生きものを育てます。水をきれいにすることも、自然と共生をする手がかりになるのです。
豊岡市の北東部にある田結地区は日本海側に面した小さな集落で田結川という小河川が流れています。この川に沿って上流まで棚田がつくられていましたが農業従事者の高齢化、減反政策、シカなどの獸害によって水田が放棄されていき、平成17年(2005年)にはすべてが放棄田となりました。ところが平成20年(2008年)にこの地区にコウノトリが舞い降りました。そこで地区の人達は放棄田に水が溜るようにして湿地化しました。所々に穴を掘り、ドジョウやオタマジャクシがすめるようにしました。 
今ではコウノトリがたびたび訪れるようになっただけでなく、かつては水田雑草として駆除され、現在では将来的に絶滅するのではないかと心配されているオオアカウキクサが姿を現したり、ホタルの成育にとって重要なカワニナも増えました。また、シカが湿地を歩き回ることで、植物の種類も増えています。コウノトリは多様な生物を運んでくれる、まさに幸せの鳥のようです。

湿地

豊岡市の田結地区
豊岡市の田結地区では高齢化などで放棄田となったところへコウノトリが訪れたことをきっかけに、地域の人たちによって湿地づくりが取り組まれています。ドジョウだけでなく、オオアカウキクサやヒメタイコウチなども見られるようになり、生物の多様性が進んでいます。



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