水の世界と人の世界

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稲作で築かれた水との深い関係

淡い光があちらこちらで点滅します。小川や田んぼの上を舞うホタルは、ごく当たり前の日本の初夏の風物詩でした。いま、ホタルを復活させようと取り組む運動が各地でおこなわれています。

清流の象徴としてのホタル

 全国各地から、ホタルの姿が急速に消えていったのは昭和30年代半ば頃からです。圃場整備による農業用水路の改変、農薬の使用、河川の改修、生活排水や工場廃水による河川の汚れなど、ホタルがいなくなった理由はいくつか挙げられます。
 岐阜県の南西部に位置していた本巣町(現本巣市)は昭和47年(1972年)、全国に先駆けてホタル保護条例を制定しました。農業を主な産業とするこの町でも、当時はホタルの数が急速に減少していたのです。条例制定の趣旨は「本町の自然保護及び観光事業発展のため、河川及び排水路付近に生息する螢の保護に関し必要な事項を定めるものとする」というものでした。
 いま、ホタルを守り育てる活動が全国各地で取り組まれています。ゲンジボタルは清流で、ヘイケボタルは田んぼのような止水域に生息しています。ホタルの保護は、珍しくなってしまったものを守る、ということ以上に、きれいな水を取り戻したいという意識が働いているようです。

全国に先駆けて「ホタル保護条例」を制定し、ホタルの生息地として整備された岐阜県本巣市の席田用水。いつしか遠のいていった水辺との距離を縮めたいという願いが込められているようです。(写真提供:本巣市役所)

消えていった川

 昭和40年代は日本全国で公害が社会問題となっていた時期です。経済成長が何よりも優先され、日本人の多くが大気や海や川が汚れても仕方がないと思っていたのです。都市部などの川は汚れ、ごみ捨て場となり、水は淀み、悪臭を放つ川もありました。こうした川を甦らせようと考える人達もいましたが、その一方で汚れた川を邪魔な存在として埋め立てたり、蓋をして歩道や道路の拡張、駐車場など新たな土地として有効に活用しようと考える人達もいました
 いまでは住宅地や商店街となっているところでも、アスファルトで舗装された暗い地面の下に、かつて子どもたちの歓声が聞こえていた川があったのです。市街地となっている場所でも、かつては田畑の広がる農村だったところはたくさんあります。
 農村部を流れる川はいろいろな役割をもっていました。灌漑用として使われるだけではなく、農産物を運搬するための交通手段としても利用されていました。そうした川を利用する人や地域の人達にとって、川の管理は大切でした。地域総出で浚渫をし、舟の航行を妨げないよう繁茂した水草を刈り取りました。刈り取った水草は田畑の肥料として使われました。
 川は生活用水を確保する場所としても使われていました。野菜や食器を洗い、会話をしながら洗濯をする場所としても利用されました。川は共同体全体で守るものでした。人々は常に川に接して暮らしていました。

人も車もかつて、ここに川が流れていたことを意識することもなく、通り過ぎて行きます。

水の中からも四季を感じ取っていた暮らし

 道端の草や庭やベランダに植えられた花、虫や鳥の声、月や星の動きなどさまざまなものから移ろい行く季節を感じ取ることができます。ところが現代ではそうした自然の変化を感じ取れる機会が少なくなっています。特に都会では自然の草花が少なくなっています。虫や鳥の姿も多くはありません。都会では夜空に輝く星も数えるほどしか見られません。
 人々は空調設備の整った快適な空間で毎日を過ごしています。住居はもちろん、オフィスや学校をはじめ電車、バス、自動車など、空調設備が行き渡っています。季節の変化を感じ取ることが出来る一番大きな要因は温度変化だけになっていると言っても過言ではないかもしれません。
 ところで川や田んぼなど、水のある空間をもっと身近なものとして暮らしていたときは、水の中の様子からも季節の変化を知ることができました。メダカ、ドジョウ、モロコ、オタマジャクシ、ヤゴ、タイコウチなどの小魚や昆虫、それらをエサにする鳥、水草や水辺の植物など、土の上とはまた違う季節の変化を教えてくれる生きものたちがいました。もちろん、水温の変化によっても、人々は四季の移ろいを敏感に感じとっていました。

水田は単にお米を作るだけの空間ではなく、多様な生きものがすんでいます。季節の変化も教えてくれました。

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