一方、上水道が整備されるまでは川の水を直接、あるいは樋などで家の前まで引いて使うか、井戸が使用されていました。井戸にも川にも水の神様がいました。
井戸の神様は一般に井戸神様と呼ばれています。井戸水がいつまでも涸れることなく、安心して飲むことができるように守ってもらっていたのです。正月には鏡餅などのお供えをしていました。そして使われなくなった井戸を埋め戻す時はお祓いをして、それまでの感謝をし、井戸神様の祟りが起きないようにしました。
井戸神様ももともとは水神様と同じです。安全な水を常に確保するといった願いが反映されたもので、川や湧水の横などに祀られていたのが、井戸へと移ってきたようです。
川や池などにも水神様はいました。そして祀られている場所によって水神様の役割は異なっていました。また、特定の祭神がいるわけでもありません。舟運に携わる人や筏に乗る人は安全な航行を願い、輪中で暮らす人々は洪水や渇水にならないよう祈りました。川漁に携わる人は豊漁を祈願していたでしょう。子どもが水難事故に遭わないよう、淵などの溺れやすい危険な場所には水神様を祀りました。渡し舟の船頭や旅人たちの安全のため、渡船場などにも水神様が祀られていました。そしてお供えをしたり、お祭りなどによって水神様を楽しませたり感謝の気持ちを表していたのです。こうした神聖な場所やものを汚す行為は許されませんでした。
現代のように、人が一方的に水を利用するだけではなく、水もまた水神様を通して人を見ていたのです。共存とは、一方的に利用することではないのです。
上水道の普及によって、いまでは井戸のある家庭はほとんど見られなくなりました。そして水への感謝の気持ちも薄くなっているようです。
水神様を怒らせてしまったならば、さまざまな災厄に見舞われます。水の恩恵を受けているのは人だけではありません。生命あるもの全てが水の恩恵を受けています。水を大切にするということは、水の恩恵を受けている全ての生命にも思いを寄せることです。
強固な堤防がつくられることでより安全で安心な暮らしが実現しました。ところが堤防が強固であればあるほど、水と人は堤防の向こう側の世界とこちら側の世界とに二分されてしまいます。堤防がないか、あったとしても洪水によって壊される危険性があれば、水の世界と人の世界の2つの世界をはっきりと区別することはできません。
農業の機械化が進むことによって、農作業は楽になり、生産性も高まりました。水面に顔が付く位近づいておこなっていた田植や草取りといった重労働から解放されましたが、同時に田んぼと農作業をおこなう人の距離が離れ、田んぼの中の生きものに眼が行き届かなくなりました。
上水道、さらには温水までもがいつでも自由に使えるようになり、水汲みや薪割りといった仕事はなくなり、毎日の暮らしは楽で快適なものになりました。その分、川や井戸といった水の世界からの距離が遠くなり、自然の水が日々の暮らしの中からは見えなくなりました。
安全で快適な暮らしは大切です。ただ、水との距離が遠くなればなるほど、水に寄せる思いも遠ざかっていきました。水への思いが強ければ、安易に水を汚すことはないはずです。
汚した水も暗渠を通り、生活の場とは遠く離れたところで処理されることで、ますます水との距離感が遠くなっています。目に見える範囲で処理され、その水によってきれいな流れがつくられ、さらに、多くの生きものたちが育まれるようになれば、もっと水を大切にしようという心も復活するはずです。
輪中で有名な岐阜県輪之内町にある、宝暦8年(1758年)に創建されたとされる水神神社。主祭神として水波能売神(みずはのめのかみ)が祀られています。