熊野灘とリアス海岸

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豊かさと厳しさを併せ持つ海

いくつもの小さな島の向こうに、大きな島が見えます。その左右に長い半島状の地形が見えます。望遠鏡で覗くと海面から少し浮き上がっています。蜃気楼のようです。ここは三重県紀北町の熊野灘に突き出した岬です。

穏やかな表情の志摩半島

 紀伊半島の東端に位置する志摩半島から熊野市にかけての海岸沿いは日本有数のリアス海岸です。志摩半島の北は伊勢湾口に、東から南は太平洋に囲まれています。この辺りの地域はもともと海の中にあり、それが浸食されて平坦な海食台となり隆起しました。陸地となった海食台は川などによって浸食された後、沈降してリアス海岸となりました。平坦な海食台であったため、海岸のすぐ背後にはそれほど険しい山は見られず、陸地の標高もほぼ同じです。そのため、志摩半島のリアス海岸は穏やかな風景が続きます。
 また、伊勢湾には木曽川、長良川、揖斐川、雲出川、宮川といった大きな河川が上流部の山々から豊富なミネラルを供給しています。その水が伊勢湾の水と混ざり伊勢湾口へと流れてきます。しかも志摩の海は水深がそれほど深くないため、太陽の光が海底近くまで届きます。その結果ワカメなどの海藻がよく生長し、それをエサとするアワビやサザエなどもよく育ちます。

いくつもの半島や島が連なる三重県のリアス海岸。遠くにかすかに見える半島は蜃気楼です。

複雑に入り組んだ入り江

 熊野灘の沖には黒潮が流れています。温かな黒潮にのってカツオ、マグロなどの回遊魚がやって来ます。またアジ、サバ、イワシといった小型の魚なども豊富に集まります。さらに冬になると北の方からはサンマやブリもやって来ます。
 熊野灘に面した地域は海岸線近くまで山が迫り、的矢湾、英虞湾、五ヶ所湾、贄湾、尾鷲湾、賀田湾といったいくつかの湾がつくられ、さらにそれらの湾の内側にリアス海岸がつくられています。いくつかの小さな入り江の多くは天然の良港として漁業基地や養殖の場として栄えてきました。三重県内には130の漁業集落がありますが、そのうちの多くがこれらのリアス海岸に立地しています。
 リアス海岸は平地が少なく、陸上交通もあまり発展してきませんでした。熊野古道の一つである伊勢路も海岸沿いではなく、内陸部を通っています。英虞湾を含む志摩半島一帯が戦後初の国立公園として指定されたのは昭和21年でした。その後、志摩地域は観光客の増加などにより、これまでにかなり道路は整備されてきましたが、生活環境の整備では必ずしも十分とは言えない面がありました。そこで特に閉鎖性水域に面した漁業集落に対し、生活排水対策の改善が進められています。

風待港としての重要な役割

 複雑なリアス海岸によってつくられた湾は外洋からの波を遮ってくれるため、普段の湾内は波静かで穏やかです。
 戦国時代が終わり、江戸に幕府が開かれると、江戸の人口が急激に増えていきます。当然、食料品から日用品までさまざまな物資を江戸に運ばなければならなくなりました。そのため陸上輸送に比べ一度に大量の物資を輸送できる海運が盛んになります。大坂から江戸への海上輸送ルートとして使われたのが、海の東海道ともいわれた紀伊半島の先を廻る航路でした。
 紀伊半島の東端から伊勢湾口を横切り、伊良湖岬を過ぎれば遠州灘です。遠州灘では冬に強い西風が吹きます。当時の船は風の力を頼りに進む帆船です。悪天候で船に危険が迫った時、船を安定させる必要があります。そこで積み荷を捨てたり、時には帆柱を切り倒して転覆を防ぎました。
 しかも動力源である風を受けることが出来なくなれば船は漂流するほかはありません。運を天に任せ、無事に生きて帰れるよう神仏に祈るだけです。遠州灘では多くの船が遭難しています。その一方で漂流した船の乗組員が外国船に助けられたとか、外国まで漂流したという記録もたくさん残されています。
 8カ月の漂流の後、アリューシャン列島に漂着し、苦難の末ロシアのエカテリーナ二世に謁見し、10年もの歳月をかけて帰国した伊勢の大黒屋光太夫や14カ月漂流してアメリカに漂着し、その後、世界で最初の日本語訳の聖書を完成させた知多の船乗り音吉などはよく知られています。
 海難事故に遭わないようにするには好天の日を選ばなければなりません。そこで風が穏やかで天然の良港となっている鳥羽湾、的矢湾、英虞湾にある港は風待港として使われました。中でも鳥羽、安乗、的矢、浜島は港町として栄えました。

紀伊半島から海上を東へ向かうと季節によって強風の吹く遠州灘です。海難事後を防ぐため、かつては多くの船が港で好天の日を待ちました。リアス海岸には風を避けるのに都合のいい風待港がたくさんあります。

養殖漁業に適したリアス海岸

 風や波の穏やかなリアス海岸は養殖漁業にも最適な立地です。三重県は青ノリの養殖が盛んで、全国で生産される青ノリの約60%を占めていますが、そのうちの半分以上が英虞湾や的矢湾で生産されています。
 伊勢湾口に位置する鳥羽から的矢湾などの沿岸にかけてはプランクトンが豊富なため、カキ養殖もおこなわれています。また英虞湾は1893年(明治26年)に御木本幸吉がアコヤガイを使い真珠の養殖を世界で初めて成功させて以来、真珠の生産地として有名になりました。最近では五カ所湾などでも真珠養殖がおこなわれています。さらに五カ所湾や贄湾など、熊野灘沿岸の内湾は生け簀によるマダイ、ブリ、ハマチなどの養殖がおこなわれ、最近はクロマグロやマハタなどの養殖も試みられています。
 しかしリアス海岸は津波などに襲われると養殖用の筏や生け簀などが被害を受けやすくなります。2011年に起きた東日本大震災による津波によって北海道から沖縄県までの水産業が被害を受けました。その中でも養殖施設や養殖物については福島県、宮城県、岩手県に次いで北海道、三重県での被害が大きくなっていました。三重県の水産業の被害が大きくなったのは、養殖が盛んであったということも挙げられます。

リアス海岸は波が静かで養殖漁業に適しています。

かつてはいたる所にあった干潟やアマモ場

 リアス海岸は波打ち際まで山が迫り、平地がほとんどないように思われています。ところが三重のリアス海岸の湾奥部には多くの干潟がありました。英虞湾では海域面積の10%に当たる約270haの干潟があったとされていますが、江戸時代に水田造成のためにおこなわれた干拓などによって、そのうちの約70%が消失しました。
 干潟は河口部に上流から運ばれた土砂などが溜まりつくられます。潮の満ち引きによって海中になったり、砂や泥の浜になったりします。こうした場所は多くの生物が住んでいます。その中でもアサリやゴカイなどは上流から運ばれてきた有機物をエサとします。さらにそれらを野鳥や魚がエサとして、干潟の外へ運び出します。そのため、干潟は海の浄化に大切な場所となっています。
 一方、干潟とともに大切な場所にアマモ場があります。アマモはワカメなどの海藻とは違いオモダカ目アマモ科に属する多年生植物で花を咲かせて種をつくる海草です。日本全国の砂や泥の海岸に生え、成長すると1.5mほどになります。アマモが生えている場所はアマモ場と呼ばれます。1955年(昭和30年)頃は三重県と愛知県の伊勢湾沿岸の大部分にアマモ場がありましたが、現在はごく一部の地域にしかありません。昭和40年代以降、アマモの生育に適した場所の埋め立てや水質の悪化などでアマモが減少したのが大きな理由です。

リアス海岸は天然の良港に恵まれ多くの漁港があります。

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