経済成長とともに失われたヨシ群落 さまざまな恩恵をもたらしてきたヨシ群落も、高度経済成長期以降には徐々に減少傾向をたどります。1953年当時には約260haまで広がっていたヨシ原が、1992年には干拓などが進んだことで約130haにまで減少、40年間で2分の1になってしまいました。
社会的にも、1960年代頃から全国的に公害や環境破壊に注目が集まり、滋賀県では1977年に琵琶湖で初めて淡水赤潮が大規模発生しました。これを契機に県民が主体となって「石けん運動」が始まると、1979年に「滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例」の施行、1984年に「湖沼水質保全特別措置法」が制定されるなど、環境保全への動きが活発化してきました。
ヨシ刈りの風景。刈り取ったヨシは、ヨシ紙などのヨシ製品へ活用されています。(写真提供:滋賀県)
ヨシ群落保全条例は、「自然と人との共生」を具現化し生態系の保全を積極的に定めた、全国で初めての条例です。希少種でない植物を保護する条例はたいへん珍しく、水辺の生態系の保全を図るだけでなく、この地域の風土や文化、大切な原風景を守るという意義も含めています。「美しい琵琶湖を次代へ引き継ぐ」を合言葉に、「守る」「育てる」「活用する」の3つを柱とした施策が進められました。まずは良好なヨシ群落の環境を守るため、保全に必要な区域を「ヨシ群落保全区域」に指定し、特に優れた状態でヨシ群落が存在する区域から順に、保護地区、保全地域、普通地域に区分し、その区域内での行為を規制しました。
また、減ってしまったヨシ群落を戻すために、生育環境や地域の特性に配慮しながらヨシの増殖・再生にも取り組んでいます。県では、130ha以下になってしまったヨシ群落の面積を1955(昭和30)年頃の260haに戻すことを目標に掲げて造成を進めています。2014年の時点では40ha以上を造成し、総面積は180ha以上にまで広がりました。豊かなヨシ原を維持・管理するため、ヨシ刈りやヨシ焼きを推進。近年は市民団体やNPO、企業などに積極的にボランティアに参加してもらえるよう助成金を確保し、市民参加型の保全活動を支援しています。
ヨシ群落保全条例にて保護地区に指定された烏丸半島のヨシ群落。