水の話
 
地下水に求められる清らかな世界
毎年3月、春を呼ぶ行事として奈良東大寺二月堂では「お水取り」が行なわれます。
この水は二月堂にある「若狭井」から汲まれますが、水源は北陸の若狭にあるとの伝説があります。はるか離れた若狭と奈良が地下水脈でつながっているとは、考えにくいことです。
湧き水を無垢な水として利用しているところは各地に見られます。
地下を通って湧き出る水には、人々の水に対する特別な思いがあるのでしょうか。

豊富な地下水に恵まれた地
 水汲み場のすぐ上に数体のお地蔵さんが祀られています。樋からはきれいな水が流れ落ちています。量はそれほど多くありませんが、柄杓(ひしゃく)が置いてあり誰でも自由に水を飲んだり汲んだりできるようになっています。水場の横には酒造組合の石碑も建っています。
福井県の若狭湾に面した小浜市は、古くから大陸との交流が盛んな地でした。若狭という地名も行き来を意味する朝鮮語のワッソ、カッソが合成されたワカソが訛ってワカサになったとも言われています。JR福井駅のほど近くにある瀧の水は、かつて京都の僧が唐へ留学するときに、この水で造った酒を土産として運んだという話が伝えられています。実際、数十年前まで、この水を使った酒造りが行なわれていました。
市内にはいくつもの湧き水や滝などの名水があり、いまも市民に親しまれています。港から数十メートルしか離れていない場所にも、つい最近まで生活水として使われていた湧き水があります。この地域は、昔から豊富で清浄な水に恵まれていたのです。
前川
若狭の御神水と呼ばれている若狭姫神社の前を流れる前川。ここにも、清らかな流れがあります。

瀧の水 小浜市内にある瀧の水。昔、京都天竜寺の僧策彦が唐へ渡ったとき、数々の品を日本から土産として持って行きましたが、ここの水を使って作られた酒だけは、年月がたっても変わらぬ味であったと伝えられています。水源がどこにあるのかは誰も知らないそうですが、かつては近くにある数百軒の町家の飲料水として使われていました。

奈良の都に結ばれた不思議な地下水路
 小浜市の北部に神宮寺という不思議な名前の寺があります。この寺は奈良東大寺二月堂へお水送りをする寺として知られています。東大寺二月堂のお水取りの儀式に先立つ3月2日、神宮寺では境内にある閼伽井屋(あかいや)という建物の中にある井戸から汲んだ水を、寺から1.5キロほど離れた遠敷(おにゅう)川にある鵜の瀬へ注ぎ、お水送りの行事が行われます。瀬に注がれた水が地下水路を通り届くとされているのです。
ところで、なぜ若狭から奈良まで地下を通って水が送られるという話ができたのでしょうか。昔、インドから来たといわれる実忠(じっちゅう)という和尚が、東大寺大仏の開眼供養のとき、日本中の神々を二月堂に集めました。ところが若狭の神だけが漁に忙しく遅れてしまったのです。そこでお詫びとして十一面観音にお供えする閼伽水(あかみず)を若狭から送ると約束しました。すると二月堂の下の地面が割れ、白と黒の二羽の鵜が飛び出し、そこから水が湧き出たという伝説にちなんでいます。
日本海側に位置する若狭から、途中にある山を越え、奈良まで地下水が通じるとはとても考えられません。しかし、実忠という和尚はインドの僧ではなくイラン(ペルシャ)の人であり、地下水路というのは、ペルシャなどで見られるトンネル式の水道(カナート)のことではなかったのかという説もあります。白と黒の鵜は、水路を作った白髪の老人と黒髪の若者だというのです。もちろん、そのような痕跡も証拠も何も残されてはおりません。ただ、当時の奈良は都の建設工事などで水が不足して、生活に必要な清浄な水が求められていたとも言われています。
お水送り
神宮寺の「お水送り」の行事。伝説によると白と黒の鵜を遣い、鵜の瀬の川淵より地下を導かせて東大寺二月堂の下から水を湧き出させたとされています(写真提供:神宮寺)。

鵜の瀬
「お水送り」が行われる「鵜の瀬」。神宮寺境内にある閼伽井戸から汲まれた水がここに注がれます。なぜ、その水が奈良東大寺に通じると考えられるようになったのか、ここを見ているだけでは不思議に思えてなりません。

神宮寺境内にある閼伽井屋の中にある井戸。神宮寺境内は、どこを掘ってもきれいな湧き水が豊富に湧いてくるそうです。閼伽水とは仏様に供える聖水のことで、閼伽とはもともとサンスクリット語で「価値のある」という意味のアルガの音から来た言葉だとされています。
閼伽井屋の中にある井戸


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