小浜市の北部に神宮寺という不思議な名前の寺があります。この寺は奈良東大寺二月堂へお水送りをする寺として知られています。東大寺二月堂のお水取りの儀式に先立つ3月2日、神宮寺では境内にある閼伽井屋(あかいや)という建物の中にある井戸から汲んだ水を、寺から1.5キロほど離れた遠敷(おにゅう)川にある鵜の瀬へ注ぎ、お水送りの行事が行われます。瀬に注がれた水が地下水路を通り届くとされているのです。
ところで、なぜ若狭から奈良まで地下を通って水が送られるという話ができたのでしょうか。昔、インドから来たといわれる実忠(じっちゅう)という和尚が、東大寺大仏の開眼供養のとき、日本中の神々を二月堂に集めました。ところが若狭の神だけが漁に忙しく遅れてしまったのです。そこでお詫びとして十一面観音にお供えする閼伽水(あかみず)を若狭から送ると約束しました。すると二月堂の下の地面が割れ、白と黒の二羽の鵜が飛び出し、そこから水が湧き出たという伝説にちなんでいます。
日本海側に位置する若狭から、途中にある山を越え、奈良まで地下水が通じるとはとても考えられません。しかし、実忠という和尚はインドの僧ではなくイラン(ペルシャ)の人であり、地下水路というのは、ペルシャなどで見られるトンネル式の水道(カナート)のことではなかったのかという説もあります。白と黒の鵜は、水路を作った白髪の老人と黒髪の若者だというのです。もちろん、そのような痕跡も証拠も何も残されてはおりません。ただ、当時の奈良は都の建設工事などで水が不足して、生活に必要な清浄な水が求められていたとも言われています。
|
|
神宮寺の「お水送り」の行事。伝説によると白と黒の鵜を遣い、鵜の瀬の川淵より地下を導かせて東大寺二月堂の下から水を湧き出させたとされています(写真提供:神宮寺)。 |
|