水の話
 
地下水に求められる清らかな世界
木を刳(く)り貫(ぬ)いて作られた臼の底から水泡が上がってきます。
小さな池の中央にある臼の底から湧き出てきた水は、人々の暮らしを何百年にもわたり、守ってきました。こうした湧き水を清水(しょうず)と呼び、大切に使ってきた町があります。
清水の水は単に生活のために使う水というだけではなく、神聖な水として、特に大事に扱われていました。

湧き水を守る努力
 明るいブナの森が見えてきました。森の中には、ミズバショウの群落や樹齢400年を超えるといわれるトチの巨木も見られます。福井県の大野市が、通称「平家平」と呼ばれているブナの森を購入したのは平成8年のことでした。周囲を1,000メートル級の山々で囲まれた盆地にある大野市は、豊富な湧き水で知られた町です。戦国時代に城が築かれ、城下町として発展してきましたが、町づくりで最初に行なわれたことは、今でいう上下水道の整備でした。飲料水や生活用水のために町用水が掘られました。その水源として利用されたのが豊富な湧き水でした。いまも市民の7割近くが飲料水や生活用水として自家用の井戸を利用しています。市の上水道や簡易水道も、水源は伏流水や地下水となっています。大野市がブナの森を購入したのは、市民の暮らしを支える大切な地下水を守るという目的があったからでした。
ブナの森は、九頭竜川の支流である真名(まな)川の上流域に当たります。この真名川に平行して清滝川、赤根川がほぼ南北に流れ、3本の川は市域の北端で九頭竜川に合流しています。大野市は真名川と清滝川によって形成された扇状地の上に作られた町です。扇状地の下にはお盆のような不透水性の岩盤があり、その上を砂礫(されき)が覆っているため、盆地全体が地下ダムのようになっています。そして扇状地の先端からは、いったん地下に溜まった水が湧き水として地表に現われるのです。市街地でも5~10メートルの深さに鉄管を打ち込んだだけの簡単な井戸で地下水が得られます。

大野市を流れる真名川。かつて日照りが続いたとき、うら若い女性を人身御供として差し出し雨を降らせたという悲しい伝説も残されています。残酷であると同時に、下流の人々には豊富な湧き水を恵んでくれる川でもあるのです。 真名川
ブナの森
大野市南部にある平家平のブナの森。この森に降った雨や雪は、大野市の湧き水の水源の一つにもなっています。そのため、市で森を買い上げ大切に保護しています。
(写真提供:大野市)

意外なところにあった水源
 北陸地方にある大野市は日本海型気候に属し、梅雨時と冬の降雪時の2回、降水のピークがあります。年間降水量は2,600ミリと全国平均を1,000ミリ近くも上回り、それが地下水を潤しているのです。雨や雪が降れば、地下の水位も上昇するはずです。事実、これまでの地下水位の観測結果から、雨が降った半日から1日後に、地下水位は数センチの上昇が見られます。ところが、地下水位の変動には、他の要素も関係しているのです。
地下の水位が上昇をはじめるのは、雪が融けはじめる2月の末、そして4月下旬頃から急激に上昇し、5月上旬から中旬にかけて最初のピークを迎えます。その後いったんは低下を示しますが6月から7月にかけての梅雨時に再び大きく上昇し、8月中旬に1年での最高位を記録します。9月に入ると一気に低下し、11月下旬から12月初めに最低水位を記録し、その後、緩やかに上昇しますが、本格的に雪が降る1月から2月にかけて、再び低下します。こうした地下水位の変動をよく見ると、水田への水張りや落水にも左右されていることが分かります。5月上旬から中旬にかけての最初のピークは、ちょうど田植えが終わる頃と符合し、9月の低下は水田から水を落とす時期に符合します。
豊富な湧き水で有名な大野市ですが、実は昭和40年ごろから、湧き水の量が減少したり枯渇する現象が現われたのです。理由は工場用水や融雪用に地下水を大量に汲み上げたことに加え、圃場(ほじょう)整備などによって用排水路がコンクリート三面張りになるなど、地下へ浸透する水の量が減ったためでした。そこで市は地下水を灌養している地域の水田を冬場の間は借り上げて水を張ったり、レキ層まで掘り下げた池を作るなどして水が地下へ浸透しやすい環境を整備しています。こうした一環として、ブナの森の買い上げも行なったのです。
田んぼ
田んぼ
大野市では、水を落とした冬場の4か月間、約10ヘクタールの田んぼを市が借り上げて水を張り、水田湛水を行っています。これにより、1日約5,000トンの地下浸透量があると考えられています。
(写真提供:大野市)


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