水の話
 
歴史を秘めた島々
甲板に立つと波しぶきが飛んできます。晴れてはいますが風が少し強いようです。
遠くにかすんでいた島影の一角に集落が見えてきました。
定期船は島民や釣り客と一緒に、日々の暮らしに必要な日用品を運びます。
いまでは、本土から海底を通って水道水が島に送られ、水で不便をすることはなくなりましたが、時化(しけ)が続けば生活物資の到着が遅れてしまいます。本土に住んでいる人から見ると、不便な暮らしを強いられているような気がします。

日本の離島は6,847個所
 日本列島はいくつもの島によって構成されています。その数は6,852にも及びます。このうち、北海道、本州、九州、四国、沖縄本島の5つを本土と呼び、残りの6,847の島々は離島と呼ばれています。人口数万人規模の島もあれば、数十人という島もあります。日本の人口はこれまで一貫して増加をしてきましたが、離島の人口は減少し続けています。中には無人島になってしまった島もあります。本土に比べ、生活が不便ということが人口減少の大きな理由と思われます。 
島にはそれぞれの歴史があり、縄文時代の矢尻が見つかっているような島もあれば、源氏や平家の落ち武者が隠れ里として住み着いたような島もあります。戦後になってから開拓のために人が暮らし始めた島もあります。あるいは、漁をしていて難破して、たまたま漂着して人が住み着くようになった島もあるでしょう。また、刑罰として島流しとなった人もいます。江戸時代の八丈島は遠流(おんる)の島として有名です。江戸時代には約1,800人が流人として送られています。ただし、いわゆる思想犯のような人や、高い教養を身に付けた人たちもたくさんいました。彼らは、もともといた島民に読み書きやソロバン、あるいは出身地の民謡や文化を教えました。流人の中には宇喜多秀家のように関ヶ原の戦で破れた大名もいました。

答志島 菅島 坂手島
島国といわれる日本ですが、本土で生活している人には、島の中で暮らしているという感覚があまりありません。山、森林、平野、川、湖など様々な自然があり、街と街は道路や鉄道で結ばれています。しかし、本土以外の島の多くは平地が少なく、豊かな水の流れもありません。離島のそんな環境は水を大切にする心を育みました。
左/答志島、中/菅島、右/坂手島


鳥羽市本土側から見た島々
鳥羽市本土側から見た島々。
写真提供/鳥羽市

リアス式海岸から生まれた島々
 三重県の伊勢志摩地方は日本でも有数のリアス式海岸として知られています。この海岸は山地が沈降してつくられたもので、複雑に入り組んだ海岸線や半島をもっています。よく似た地形にフィヨルドがありますが、これは氷河によって削られた山地が沈降し、谷の部分が細長い湾を形つくったものです。それに対しリアス式海岸をつくったのは川です。
伊勢湾の入り口に当たるところに、真珠養殖で有名な鳥羽市があります。鳥羽市の沖には小さな岩礁程度のものから人が暮らす離島までいくつかの島が浮かんでいます。海岸線が複雑に入り組んでいるため、見る角度によっては、どれが島か半島なのか、区別しにくいところがあります。
鳥羽市には人が住む離島が4島あります。答志島、菅島、坂手島、神島です。伊勢湾と黒潮からの流れが交わり、良好な漁場が形成されています。そのため、たこ壷漁、海女漁、小型底びき網、一本釣り、刺網、曳き網、タイなどの海面養殖など様々な種類の漁業が盛んです。また、神島以外は本土に近いため本土への通勤者も増えています。
さらに、豊かな自然と素朴な人情、釣りといった魅力を売り物に、旅館や民宿などの観光業もさかんです。離島といっても、一見するだけなら本土とそれほどの違いがないように思われます。電気については、神島を除いて本土から送電されています。神島では、昭和22年に旧陸軍の発電設備を島が譲り受けましたが、昭和39年に電力会社に設備を譲渡するまでは夕方から午後11時までしか電気が使えませんでした。その電気も近々、海底ケーブルで送られる予定です。
本土と一番異なっているのは、どの島にも信号機がないことです。そもそも車が走れるような幅の広い道路は限られています。集落の中の道は非常に狭く、自転車同士がすれ違うとき、どちらかが道を避けなければならない個所がたくさんあります。こうした道では、蓋のついたU字溝が道の真ん中にあります。両側に設置するだけの余裕がないのです。
漁船1
漁船2
漁業を暮らしの支えとしている島では、日常の生活物資も船が頼りです。

答志島1 答志島2 三重県鳥羽市から定期船で約20分。本土からすぐ目と鼻の先に位置しながら、答志島の雰囲気は本土とはがらりと変わります。集落内の道は狭く、自動車が入り込む余裕はありません。

風景


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