水の話
 
水を大切にする人々

天からの恵を待つ畑作物
 南側に比べ水が少ないとはいっても、飲料用以外の使い水はそれほど不足することはありませんでした。その証拠に、昔は銭湯が3軒あったということです。井戸水や木で作った樋で引いてきた流れ井戸の水などで、銭湯の水を水を確保しました。
ただ、雨はそれほど多くはありません。それでも井戸が涸れない理由は、山に松の木がたくさんあったからだと島の人は語ります。雨が降れば松は水を吸い上げ、日照りが続くと、貯えていた水を松が吐き出すというのです。
島の中を歩いてみると、わずかな平地などを利用して畑がつくられています。山の頂上のようなところにも畑がありました。畑作物に水を与えるには、基本的には雨が降るのを待たなければなりません。畑の隅には淀んだ水の溜まった瓶が埋められています。水に苦労するのは人間ばかりではなく、畑の作物も同じようです。
いまではいろいろな野菜も作られていますが、かつては麦かサツマイモがほとんどであったということです。タマネギがつくられるようになったのは、戦後になってからです。

いまも失われることなく伝えられる水の記憶
水辺 昭和53年、鳥羽市から答志島を経て海底送水管が神島にも敷設されました。かつてのように水を大事にする暮らしが当たり前であった生活も大きく変わりました。風呂も各家庭につくられました。水道の蛇口をひねれば24時間、いつでも必要なだけの水が得られます。それでも島の古老は、水を大切に使っています。食事の後、特に油で汚れた食器は紙で拭いてから水で洗います。雨水を家の横の貯水升にため、掃除などに利用しています。
北緯34度32分のライン上に連なる太陽の道に残された数多くの古代遺跡。その東の端に位置する神島は、太陽信仰の祭とされるゲーター祭を守り続けています。太陽はいわば火の象徴です。そしてまた、水を大切に守りながら人々は暮らしてきました。何百年あるいは何千年と受け継がれてきた祭のように、水もまた大切に使ってきたはずです。水が豊富に使える暮らしが実現したいま、これからも水を大切にしていたときの記憶は受け継がれていって欲しいものです。

灯台 監的哨跡 カルスト地形
三島由紀夫の小説「潮騒」に登場する灯台(左)と監的哨跡(右)。対岸の伊良湖岬にあった旧陸軍の試砲場から発射した砲弾の着弾点を確認するための施設としてつくられたのが監的哨です。 神島のカルスト地形。山の緑と碧い海、白い石灰岩からなるコントラストの美しさは、集落や灯台などの神島の風景とは異なる趣の美しさがあります。


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