金沢市の年間降水量は約2,500mmです。日本の平均降水量に比べるとかなり多い方です。冬の降雪量が降水量を増やしているのです。水が多ければ水不足で苦労することはないように思われますが、市内には主だったものだけで55本、総延長150kmにも及ぶ用水が張り巡らされています。
金沢は城下町としてつくられました。金沢城の前身は加賀一向一揆の拠点となっていた本願寺金沢御堂(みどう)です。1580年(天正8年)織田信長の武将佐久間盛政が金沢御堂を攻め落とし、その場所に尾山城を築きました。そして1583年(天正11年)に前田利家が入城し、当初は尾山城と金沢城という2つの名前が使われていましたが、やがて金沢城となり金沢は城下町として発達していきました。
金沢城は東西を浅野川と犀川に囲まれた小立野(こだつの)台地の先端部分に築かれています。台地の下では容易に使える水も、台地の上では簡単に利用することはできません。水の確保には大変な苦労が必要でした。
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金沢城は本丸をはじめ城の大部分が1631年(寛永8年)の火災で焼失しました。その後再建されましたが1759年(宝暦9年)の大火で再び焼失しました。現存する石川門は金沢城の数少ない遺構の一つで、1788年(天明8年)に再建されたものです。(写真は石川門と菱櫓) |
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