水の話
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総延長40万kmにも及ぶ日本の疏水
日本は水に恵まれているといわれています。年間降雨量が多く、大小併せて3万数千本もの川が流れています。これらの川は農業や水運など様々な形で利用されてきました。その一方で自然の川だけではなく新たに土地を切り開いてつくられた水路も数多く見られます。

疏水と運河

 大都市の中を流れる川の多くは、その街のシンボルとして人々に安らぎを与えています。しかし、全てが自然の川とは限りません。物資を運搬するため、いわば街の動脈として人為的に掘られた川も流れています。そうした水路は運河と呼ばれています。また、生活排水を処理した水や街に降った雨を排水することを目的としてつくられたり改修されたりした川もあります。
このような人工的につくられた水路の他に疏水(そすい)と呼ばれる水路があります。疏水がつくられた一番の目的は水の供給です。供給される水は農業や飲料用などの生活用水として、あるいは紙漉、織物の染色、酒造といった伝統産業にも使われてきました。
水の利用方法は時代とともに広がっていきます。とくに明治時代に入ると、新たな近代的工業が興ります。いまでこそモーターなどを動かすエネルギー源には電力が使われていますが、水力発電が行なわれる前は水車を回し、その回転力そのものを動力として直接利用してきました。
農業を中心に様々な目的で水を供給するためにつくられた水路は運河や排水路とは言わず、疏水と呼んでいます。


琵琶湖疏水 清酒メーカーの横を流れる琵琶湖疏水
同じ疏水であっても、場所によっては用水あるいは運河と呼ばれることがあります。右の写真は鴨川と平行して流れる琵琶湖疏水で、鴨川運河とも呼ばれています。また疏水は舟運にも利用されました。清酒メーカーの横を流れる琵琶湖疏水は酒樽の運送にも使われました。


農業とともに張り巡らされてきた疏水

 疏水は単に用水とか用水路とも呼ばれていますが、一般的には用水の名前が使われているようです。日本には北海道から沖縄までたくさんの疏水がつくられています。疏水の歴史は古く、農業とともに発展してきました。日本でいつ、どこで最初の疏水がつくられたのか明確な記録が残されているわけではありませんが、農業の歴史から考えると、2,000年以上はさかのぼることができそうです。農業の中でもとくに水田による稲作の広がりとともに疏水がつくられていき、現在、全国の疏水の総延長は40万kmにも及んでいるとされています。地球の円周は約4万kmですから、地球を10周する長さに相当します。
疏水の水源は川や湖沼です。取水口から取り入れられた水は1本の水路を通るだけではなく、田畑やその他の目的のために分水されます。水が供給されれば新たな田畑が開墾され、さらに疏水は延びて網の目のように張り巡らされていきます。水があれば人が住み村となり、さらに都市へと発展していく地域もでてきます。


農業用の灌漑
疏水の利用目的で一番多いのが農業用の灌漑です。江戸時代につくられ、今も田畑を潤している疏水は全国各地で見られます。
水車
疏水の水を田畑へ導くためには、水車も利用されました。


水を安定供給できない日本の川

 日本は世界でもまれな水に恵まれた国土といわれます。年間の平均雨量が多く、どこへ出かけても川が流れています。川があれば、わざわざ疏水をつくる必要がないようにも思われます。ところが降雨量の多さと、利用できる水の量とが必ずしも一致するわけではありません。日本で降雨量が多いのは梅雨時と台風シーズンです。これらの時期は川の水量は大幅に増えますが、渇水期になると水量は減少します。しかも日本は急峻な地形のため、河川のこう配がきつく、降った雨は短期間で海へと流れ去ってしまいます。
川の最大流量を最小流量で割った数字を河況係数あるいは河状係数と呼びます。流量の差が大きくなるほど、河況係数も大きくなります。ただし、測定地点や洪水などによる変動が大きいため、年によって河況係数は大きく変わります。ヨーロッパではセーヌ川の河況係数は34、ライン川が18、テムズ川が8となっていますが、四国の四万十川は359(平成2~平成11年平均、国交省四国地方整備局中村河川国道事務所ホームページより)になっています。京都市内を流れる桂川をここ10年間で見ると、平成14年の最小流量が2.39m3/s、平成16年の最大流量が2276.74m3/sで河況係数は952.61(近畿地方整備局河川管理課)にもなっています。つまり日本の河川は洪水期と渇水期における水量の差が大きいため、川があるというだけでは年間を通して水を安定して利用することが難しいのです。
疏水が張り巡らされていったのは、流量変化の大きな川の水だけに頼ることができないという事情があったのです。さらに他にも問題がありました。川や池のほとりに水田をつくったとしても、水位が田畑よりも低ければ、何らかの動力を利用して水を汲み上げなければなりません。そこでよく使われたのが水車でした。しかし水車を動かすには川の流れを利用するか人力に頼らなければならず、大量の水を供給するのは容易なことではありませんでした。ましてや高台のような場所へ水を供給するには、より標高の高い場所から水路をつくり、自然に流れるようにしなければならなかったのです。


鴨川
京都の街の中を流れる鴨川。豊富に見える川の水も、渇水期と洪水期では水量が大きく変化します。そのため自然の川の流れだけでは安定して水を使うことができません。

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