水の話
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総延長40万kmにも及ぶ日本の疏水

水路の役割を担っていた琵琶湖

 日本一の大きさを誇る琵琶湖は南北に長く延びています。日本海に面した敦賀湾方面から京都や大阪方面へ物資を運搬する途中は琵琶湖の舟運が利用できました。ところで琵琶湖の南端から先へ舟を利用しようとした場合、流出する河川は1本だけです。江戸時代の浮世絵師・安藤広重によって描かれた近江八景の一つ「瀬田の夕照」で知られる瀬田川です。瀬田川は琵琶湖の南に端を発してそのまま南へと流れ名前を宇治川に変えます。宇治市の南側を回り込むように流れ、そこから京都方面へ北上し、さらに南西へと向きを変えて桂川と合流して淀川となり大阪湾へと向かいます。ところが琵琶湖から流れ出る瀬田川はかなりの急流で舟運に利用することができませんでした。
琵琶湖から京都までの距離はわずかです。この水を灌漑に使うことができれば農作物の収穫は上がります。しかしその間には山があるため、豊富な水がすぐ近くにあるというのに、簡単に利用することができませんでした。


瀬田川
琵琶湖から流れ出る河川は瀬田川だけですが、急流のため舟運には適しませんでした。そのため、江戸時代には瀬田川を改修して舟運を行うという計画もありましたが、結局は実現しませんでした。


日本の歴史文化としての疏水

 農林水産省が中心となり、平成18年に疏水百選が選定されました。百選とはいっても、110の疏水が選ばれています。選定の基準には4つの視点がありました。1つ目として農業や地域振興に役立ってきたこと、2つ目が歴史的・文化的施設や水にまつわる伝統儀式・習慣が残されていること、3番目が水質の保全や生態系が豊かであり、疏水の景観が美しいこと、そして4番目が散策路などの日常生活にも活用されている、という基準です。
疏水百選は全国の都道府県から選定されています。その中でも日本を代表するとされるのが福島県の安積(あさか)疏水、栃木県の那須疏水、滋賀県から京都にまたがる琵琶湖疏水で、これらは日本三大疏水に数えられています。
安積疏水の水源は猪苗代湖です。明治16年(1883年)に完成した当時の水路延長は124km(明治15年一部完成)、それまで不毛の土地とされてきた郡山の周辺を潤し、福島県を代表する穀倉地帯に変えました。さらに疏水を利用した発電所がつくられ、製糸工業も発展しました。安積疏水建設はオランダ人技師のファン・ドールンの指導で行なわれました。
那須疏水は明治18年(1885年)4月からわずか5カ月という短期間で那須野ケ原農場の飲用・灌漑用として那珂川を水源につくられました。完成時は幹線水路の長さは約16kmでしたが、その後も支線がつくられ、現在も灌漑用などに使われています。ただし水路の多くは掘ってつき固めただけの土水路であったため、維持管理が大変で、漏水などにより用水が末端まで届かないということもあったようです。


十六橋水門 疏水
日本三大疏水の一つに数えられている安積疏水は猪苗代湖の水を福島県郡山市とその周辺に供給しています。また、水源となる猪苗代湖の水位を安定させるため、疏水の取水口と湖を挟んで反対側にある日橋川の入り口に十六橋水門がつくられました。


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