水の話
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暮らしとともに流れる川
川辺の草むらから鳥が現れ、水中へしきりにくちばしを突っ込んでいます。ついばんでいるのは小魚でしょうか、それとも水中の虫でしょうか。川はさまざまな生き物にとって命育む大切な場所です。川の持つ役割は時代によって変遷しても、人が暮らしていく上で大切な場所であることに変わりありません。

徳川家康生誕の地のほとりを流れる

 河川は多くの支流を集めて本流となり、海へと流れ下ります。日本には一級河川に指定されている河川が13,000本以上ありますが、それらの川は109の水系にまとめられます。
長野県の南部に源を発し、岐阜県を経て愛知県のほぼ中央を流れ三河湾へと注ぐ矢作川(やはぎがわ)は本流の延長約118km、流域面積約1,830km2の一級河川です。全国的な知名度はそれほど高い川とはいえませんが、中流域のほとりには徳川家康が生誕した岡崎城があります。城の近くに矢作橋が架かっています。戦国時代、少年であった豊臣秀吉が橋の上で寝ていたところを蜂須賀小六(後の阿波=徳島県=藩祖)に蹴飛ばされ、それが縁で小六の家来になり、出世への足がかりを掴んだというエピソードがありますが、その当時の矢作川に橋は架けられていませんでした。つまり、このお話は後世になってからの作り話です。
矢作橋のある辺りには、かつて矢を作る人たちの集落がありました。矢羽根を付けることを矧(は)ぐといい、そこから矢矧(やはぐ)となり、矢作(やはぎ)に転化したといわれています。


岡崎城
昔から川は軍事的に重要な場所でした。矢作川は愛知県のほぼ中央に位置する岡崎市の中を南北に流れています。矢作川の支流乙川(写真手前)との合流点に建つ岡崎城は徳川家康誕生の地として知られています。


塩を運び、荒野を潤す

 家康が生誕した岡崎城は、元々矢作川とその支流である乙川の合流地点の高台にあったのですが、それを家康の祖父・松平清康が攻め落として以来、徐々に城廓が整備されていきました。川は要塞を築く上で重要な役割を果たしていましたが、物資の運搬拠点としても利用されました。
江戸時代に矢作川は三河(愛知県)と信州(長野県)とを結ぶ重要な交通路としても盛んに利用されました。三河湾は良質な塩の産地でした。特に忠臣蔵で有名な吉良上野介の領地であった吉良町の塩は質が高いことで評判でした。この塩は矢作川を使い船で上流へと運ばれました。
矢作川の水深は、それほど深くはなく、中流域から下流までの流れはゆったりとしています。川底の浅い川でも安全に、たくさんの荷を運べるように、船底を浅く平たくして幅の広い船が使われました。ただし船で運べるのは河口から中流域にある豊田市辺りまででした。そこから先は牛馬の背に荷を乗せかえ、山道を超えて信州へと運ばれたのです。
矢作川の中流域から下流域の平野部の降水量は全国平均に比べて少なく、安城市の辺りは、安城ケ原と呼ばれる台地状の荒野が広がっていました。そこに幕末から明治にかけて測量・開削し、矢作川の水を引き明治用水が作られました。明治用水は豊田市から取水されています。
明治用水を最初に計画したのは和泉村(現安城市和泉町)の豪農、都築弥厚(つづきやこう)でした。矢作川の水を引き荒野を開墾しようと考え文政5年(1822年)に測量を開始します。当時、安城に用水を引いて開墾ができるなどとは誰も考えてはいませんでした。そのため「弥厚狐に騙されて、安城ケ原に水はコンコン」などと囃し立てられました。それでも私財を投じ、4年後には測量を完成し幕府に用水計画を提出します。幕府からやっと用水計画の許可が下りた年、都築弥厚は病没します。その後、都築弥厚の意志を引き継ぐなどした人達によって明治13年(1880年)、明治用水が完成しました。その後、水路は延長され、現在は幹線水路約86km、小幹流を含めた水路の総延長は約400kmにも及んでいます。
明治用水の完成によって安城市を中心とした一帯は「日本デンマーク」とも呼ばれる日本有数の農業地域となりました。もともと農業用水として作られた明治用水ですが、その後、国とともに改修を行い、現在は工業用水にも利用され、豊田市、安城市、刈谷市などの自動車産業も発達させました。これらの都市が発展したのは矢作川のおかげであるといっても過言ではありません。


上流
岡崎市から矢作川に沿って上流へ向かうと豊田市に出ます。かつてはこの辺りまで荷を積んだ船が上って来ました。


八帖町

岡崎市の八帖町では徳川家康以来の伝統的な味噌づくりが行われています。ここで作られた味噌は矢作川を使い運ばれました。

中馬街道
矢作川の中流
海辺で作られた塩は矢作川の中流まで運ばれ、そこから先は牛や馬の背に積み替えて、川沿いや山の中に作られた中馬街道を通り信州方面へ運ばれました。


地図


かつては不毛の荒野といわれていた台地を豊な農業地帯に変えた明治用水は矢作川から取水されています。(写真提供:明治用水土地改良区)
明治用水

明治用水頭首工

パイプライン化工事
明治用水頭首工 用水の節水と安定供給を目指し、パイプライン化工事が行なわれています。
(写真提供:明治用水土地改良区)


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