洪水被害が起きるたびに指摘されるのが水源地である山林の荒廃です。水を守るには山林を守ることが大切です。明治用水の恩恵を受ける人々は当初からそのことに気付いており、明治22年(1889年)には上流部の官有林払い下げの請願を提出し、明治41年(1908年)には植林を開始しています。そして大正3年(1914年)から現在までに約524haの水源涵養林を取得し森林の管理を行っています。
矢作川の水源地の一つである茶臼山の北斜面は長野県根羽村に属しています。ここに昭和初期に植林された営林署管轄のヒノキの人工林が、伐採を予定されていました。しかし伐採による山の崩落や景観の破壊を心配した根羽村は人工林を営林署から払い下げてもらい森を残すことにしました。しかし森林を保全するには経済的な負担がかかります。
根羽村が残すことを決めた森林の隣には、矢作川下流にある安城市の野外センターがありました。安城市の農業が発展したのは矢作川を水源とした明治用水のおかげでした。そこで平成3年(1991年)安城市は「矢作川水源の森分収育林事業」として根羽村と森林の共同経営を行うことになりました。将来、伐採が行われた時の収益は両者で分け合います。こうした事業は平成3年に森林法に新たに付け加えられた「森林整備協定」に基づく全国初めての試みとなりました。
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