よみがえる三島の水風景

水の話 No.168 特集 よみがえる三島の水風景 市民の情熱が取り戻した、せせらぎの街

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市民・企業・行政の連携で実現した、源兵衛川の再生

水への想いを胸に、立ち上がった市民たち

 湧水の枯渇化や水辺環境の悪化が進む中で、こうした惨状を憂えた人々が、少しずつ現れはじめました。川のゴミ拾いを始める人が現れると、その想いに賛同する人が2人、3人と増えていき、やがて「三島市民サロン」「三島湧水を守る会」などの市民組織の誕生へとつながっていきました。こうした活発な市民運動の根底にあるのが1964年に始まった「石油コンビナート進出阻止運動」です。当時、地下水を利用した工業化を目的にコンビナート建設が計画され、これに三島市民は一丸となって反対運動を展開しました。非常に冷静で先進的な市民運動によって、建設計画は撤回され、「公害を市民運動によって事前に阻止した実例」として運動の考え方と手法は高く評価されました。この出来事が、三島市民の根底に流れる水への愛情と、水と環境を意識した街づくりへの方向性を決定した事例としてあるのです。

左:周辺にゴミが散乱して汚れてしまった、整備事業前の源兵衛川。(写真提供:三島市役所)
右:湧水源である小浜池のある楽寿園。湧水と自然林を生かした庭園は、国の天然記念物および名勝に指定されています。(写真提供:静岡県観光協会)

日本初、グラウンドワーク三島の誕生

 その後、三島市では水辺の自然環境再生へ向けた取り組みが徐々に動き始めました。全市一斉の河川清掃や「三島自然を守る会」「宮さんの川を守る会」などの新たな市民組織の設立、「水上プロムナード計画」による桜川沿いのルートの景観整備などの活動が広がり、市民や行政の間にも水への関心が高まっていきました。そして1991年、ふるさと三島への想いとこだわりの気持ちが強い市民約70人が発起人となって「三島ゆうすい会」が設立されました。三島ゆうすい会は、雨水を地下に浸透させるための雨水浸透枡の補助制度の提案や、水の勉強会の開催など、水に関わる多くの市民運動を活発に行いました。しかし、地域の環境全体を再生するには市民組織だけでは限界を感じ始め、翌年の1992年に三島ゆうすい会を中心とした市民仲介組織「グラウンドワーク三島実行委員会(現:グラウンドワーク三島)」が組織されたのです。グラウンドワークとは、1980年代に英国で始まった、市民・企業・行政が協力し合い環境改善に取り組む実践的な活動を言いますが、これを日本で最初に導入すべく組織されたのが「グラウンドワーク三島」です。グラウンドワーク三島が、それまでバラバラに活動していた市民団体をまとめ、行政や企業ともパートナーシップを結ぶ仲介役となったことによって、相互に連携が取れるネットワークを確立し、その後の多くの事業を動かす原動力となっていきました。

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