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日常生活の中で、日本独自のものと思われているものはたくさんあります。食生活の中にも、日本でしか食べられていないと思われているものがあります。ところが、よくよく調べて見ると、意外にも外国から日本に持ち込まれ、独自に発展したものもたくさんあるのです。豆腐もそうした食材の一つです。
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アジアの国でも食べられている豆腐
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最近の健康食ブームの中、アメリカなどで豆腐も人気の料理となっているようです。アメリカの豆腐は日本から持ち込まれたものですが、アジアではかなりの国で豆腐が食べられています。ただし、これらの国々で食べられている豆腐は日本から伝えられたのではありません。中国がトウフ、韓国ではトブ・トウブ、ミャンマー(ビルマ)はトーフー、マレーシアやベトナムではタウフなどいずれの国でも基本的には同じように発音されています。つまり、これらの国々のいずれかで豆腐が最初に発明され、それが広められていった、ということです。最初に豆腐を発明した国がどこかといえば、中国です。
豆腐の発明者が誰かというと、紀元前200年頃、漢の高祖・劉邦の孫で当時の淮南国を支配した劉安だと伝えられています。淮南国は現在の安徽省の北のあたりにあったとされる地方です。劉安は司馬遷の「史記」にも登場する実在の人物です。ただし、劉安が豆腐を発明したということは、なぜか古い記録には残されてはいません。16世紀の「本草綱目」という本に劉安が豆腐を発明したことが記述されているのです。そのため、劉安の豆腐発明説は、後世になってから作られた伝説で、豆腐はもっと古くから作られていたのではないかといわれています。ともかく、豆腐は2000年以上も前から人々に食べられていたことだけは、確かなようです。では、日本へはいつ頃、どのようにして伝えられてきたのでしょうか。
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僧侶が伝え、江戸時代に庶民の味に |
豆腐百珍
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この本は天明2年(1782)5月、醒狂道人何必醇(せいきょうどうじんかひつじゅん)の著者名で刊行されました。著者名はもちろんペンネームで、料理人ではなく文人が趣味で書いたとされています。
(味の素 食の文化センター蔵) |
豆腐百珍続編
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豆腐百珍が出版された翌年(天明3年)に続編として出されました。さらに、この翌年には江戸でも「豆華集」という豆腐料理の本が作られました。ただし、この本は雑な編集であったとされています。しかし、かなりのブームとなったようです。
(味の素 食の文化センター蔵) |
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