水の話
 
自然が与えてくれた豊かな恵
野山には、実に多くの植物が生えています。ときには雑草という一言で片付けていたそれらの草も、昔は貴重な食料となっていたのです。山菜は必ずしも特別な植物ではなかったはずです。もしも特別なものであるとしたら、その季節にしか手に入らないということぐらいです。しかし、昔の人にとっては主食を補う大切なものとして、いろいろな方法で保存されていました。

漬物の歴史は山菜から?
 日本は四季の変化がはっきりした国だといわれています。その変化が衣食住のすべてにわたって様々な影響を与えてきました。特に食の面では「旬」という言葉があるように、季節ごとの素材や調理の方法がありました。もっとも、現在では温室栽培などによって、季節を問わず様々な種類の野菜が出回るようになり、旬という言葉も死語に近づきつつあるようです。

今でこそ、生鮮食料品もかなりの期間にわたり、そのまま保存できる技術が発達していますが、そうした技術がない時代には、乾燥させるか塩漬けにするなど、なんらかの加工を施す必要がありました。野菜の豊富な時季も決まっているうえ、とくに、冬は食べられる食料も乏しくなります。それらを年間を通して食べられるようにするのに、もっとも古くから行われてきた保存方法が漬物です。漬物としては、野菜よりも山菜の方が古くからあったと考えられます。

 漬物にできない山菜や野菜は、まずありません。漬物の基本は塩漬です。弥生時代の出土品の中から、海水を濃縮するために使われたらしい土器が見つかっています。塩が作られたのならば、漬物も作られていたと考えられます。では、当時はどんなものが漬物にされていたのでしょうか。おそらく、山菜や野草を使っていたのでしょう。平安時代に使われていたとされる漬物材料の中で、現在、山菜や野草といわれているものとして、ワラビ、ナズナ、アザミ、セリ、フキ、イタドリ、ホオズキ、ノビル、ギョウジャニンニク、タデなどがあります。これらの中で山菜として一般によく知られ、現在でも食べられているのはワラビ、フキくらいです。一方、四国方面ではイタドリがよく食べられているということですが、他のアザミ、タデ、ノビルなどは、ほとんど雑草としてしか扱われておりません。

ところで、漬物は乾物とともに加工食品としては、古い歴史をもつと考えられます。万葉集の時代は、海藻に海水をつけては干すということを何度も繰り返し、最後に焼いて灰と塩を取り出していました。これを藻塩と呼んでいます。あるいは、菜に海水をつけ、乾かすことを繰り返せば、簡単な漬物を作ることができます。
漬物
セリ(左)とニンジン(中)とイタドリ(右)の漬物
山菜の本場といえば東北地方や信州というイメージがありますが、四国でもよく利用されて、とくにイタドリは食べられています。漬物にする場合は皮付きのまま漬け込みます。セリは栽培ものも出回っていますが、味も香りも野生のものにはかないません。いずれも昔から野菜と同じように扱われてきました。

 漬物というのは、単なる保存食というだけではありません。漬けることによってアクが抜けたり発酵したりして、グルタミン酸などを多く含む食品となり、生のときとは違う風味と栄養をもつ優れた食品となるのです。

塩で保存ができるようにした食品は「醤」と呼んでいました。穀物を醤にしたものが穀醤で、味噌や醤油の元祖とされています。一方、魚肉類を醤にしたものが肉醤で、塩辛の元祖といわれています。いまでもベトナムなどの東南アジアでは魚から作られた醤油のようなものが調味料として使われていますが、これは魚醤と呼ばれています。そして、野菜を醤にしたものが草醤で、これが現在の漬物です。山菜も当然、醤にして、万葉人の食卓を飾っていたことでしょう。


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