池や小川、田んぼだけでなく川の上流部にすむカエルもいます。その中でもよく知られているのが、カジカガエルです。鹿に似た美しい声で鳴くところから河鹿の名前が付けられたのです。万葉集にも、カジカガエルを詠った歌がいくつかみられます。もっとも、たんにカジカというとアユカケの別名をもつ魚を指してしまいます。上流には、この他にナガレヒキガエル、ナガレタゴガエル、ヤマアカガエルがいます。山の中に入れば、まだまだこうしたカエルをみることはできますが、街の中やその近郊では、多くのカエルが姿を消しています。田んぼに水を引く水路にU字溝が使われると、そこへ落ちたカエルのなかには外へ出られなくなるものもいます。耕地整理によって、かつては年中水が溜まっていた水田の乾田化も、カエルにとっては厳しい環境となっています。溜池の減少も深刻です。
水辺環境の保護というと、自然の川の保全が重要だと思われます。しかし、池や川だけが水辺環境ではありません。何千年という歴史のなかで育んできた水田耕作。そこでは米だけでなく、さまざまな生命も育まれてきたのです。日本のカエルの多くは、繁殖活動と稲作とが密接に関係しています。水田に水が入るころに産卵し、水田から水がなくなるころまでにはオタマジャクシからカエルへと変態を終えるのです。水を守るというのは、水を美しくすることはもちろん、多くの命を守ることでもあるのです。
標高約1,000メートル、小さな沢からグィウ、グィウというような声が聞こえてきます。タゴガエルです。声を頼りにいくつかの石をどけてみると、タゴガエルが出てきました。このカエルは、水が湧き出るような場所で、産んだ卵を守るようにして、石の下に隠れています。
この森の中にある池では、樹上生活をしているモリアオガエルが産卵します。このカエルは乾燥には強いのですが、森がなければ生きていくことはできません。森にはエサとなる虫がいっぱいいるからです。池の横の小さな水たまりには、ヤマアカガエルの卵がありました。山の田んぼからは、シュレーゲルアオガエルの声が聞こえてきます。山には、まだまだカエルの暮らせる環境が残されています。
でも、里へと下るにつれ、カエルの声も姿も少なくなっているようです。カエルの成育に適した水辺環境が減少しているからでしょうか。カエルの顔は、どこか哲学者を思わせる風貌をしています。失われつつある水環境について、どんな思いを巡らしているのでしょうか。 |
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流にすむナガレヒキガエル(写真上)と卵塊(写真下)。オタマジャクシは水に流されないよう、口が発達し、岩に吸着して藻類を食べて育ちます。カエルになると、渓流の岩の上や川岸をすみ家とします。
(写真提供:三谷伸也氏) |
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