水の話
 
江戸時代からあった魚を育てる森という発想

忘れ去られていった魚つき林
漁港 山が海の魚を育てる、ということが最近になって言われるようになっていますが、こうした発想は日本では昔からあったのです。でも、なぜ明治時代から法律によって定められていた魚つき林が忘れられていったのでしょうか。
魚つき林はもともと沿岸部での魚の保護に大きな目的がありました。しかし、漁船や漁業技術の発達は、沿岸から沖合へと漁業の中心を移していきました。沿岸での漁業が衰退していけば、魚つき林といった発想も薄れていきます。さらに昭和20年代以降の開発優先といった社会の流れも、魚つき林の伐採を進めていきました。平成8年に日本全国で保安林に指定されていた森林面積は延べ9,125,000ヘクタールで全森林面積のうちの36%を占めていました。しかし、その中の魚つき保安林は国有林の約7,000ヘクタールと民有林の約22,000ヘクタールを合わせた約29,000ヘクタールで、保安林全面積に占める割合は0.3%しかありませんでした。魚つき保安林が一番多くあったのは昭和27年の53,000ヘクタールで、これ以降は減少の一途をたどってきました。
そんな中で、大切に守られてきた魚つき林もあります。京都府舞鶴市で、平成12年に幹周り約14メートル、樹高約15メートルものスダジイという日本最大級のシイの巨木が発見されました。舞鶴湾にある成生(なりゅう)岬にあり、300年も前に漁民が魚つき林として植樹した木の1本です。この辺りの海はいまもイワシ、アジ、ブリなどの好漁場となっています。
ところで、魚つき林の効用についてはこれまでに様々な議論がありました。その中でも一般的に言われてきたのが、緑陰に魚が好んで集まるということです。しかし、魚の眼には緑陰を識別する機能がないとか、魚つき林は信仰だといって切り捨てる学者もいました。また、海岸部の山肌が露出している所は大雨のときに土砂が流出して水が濁るので、木などで覆われていれば土砂流出を防止できる、というだけの効用しか認められないとする学者もいました。この場合は、土砂流出さえ防止できれば木で覆われていなくてもコンクリートなどで塗り固められていてもいい、といったことにもなりかねません。
こうした魚つき林の効用を巡る論争が、明確な結論をだせないままであったことも、人々の間から魚つき林のことを忘れさせていったようです。

巨木スダジイ 京都府舞鶴市にある日本最大級のシイの巨木スダジイ(左)。5~6月に、遠くから見てもよく分かる黄緑色の花を咲かせます。このあたりは江戸時代から魚つき林として伐採が禁じられ、いまも木の下にはアオリイカや小魚が集まってきます(下)。
(写真提供:舞鶴市郷土資料館)
木々


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