大都市の多くは大きな河川の河口部分を中心に発達しています。いまでは人口密集地域となっている場所も、かつては大半がヨシの繁る大湿地帯でした。大きな河川によって開けた平野部は穀倉地帯にもなっています。米づくりはこうした平野で発展しましたが、日本に稲作が伝わったときは、平野のすべてが利用されていたわけではありません。人口や工場の密集した地域であっても、新田の名が付く地名は各地に残されています。このような地名の場所の多くは江戸時代から明治時代にかけて新田開発された場所が多いようです。
湿地は、河口や丘陵地にも数多く点在していました。日本での米づくりは、それらの湿地をそのまま水田に転用して始められたと考えられています。丘陵地といっても、平野部に近い場所のいわゆる里山と呼ばれているような地域で、谷地田、矢戸田、あるいは洞と呼ばれているような湧き水のある場所です。
こうした湿地には様々な動植物が生育していました。さらに農業の発達とともにため池が作られ、水田は徐々に広げられていきました。水田やため池は基本的には湿地と同じです。つまり、湿地が水田へと改変していったからといってそれまで湿地で生活していた生き物たちが、すみ場所をなくすことはなかったのです。そればかりか水田開発はそのまま生息域の拡大につながったのです。なかでもカエルは水田開発によって生息域を拡大させた生き物だといわれています。その他にも、メダカをはじめとした小魚などの繁栄をもたらしたのです。
自然状態の湿地はある意味で非常に不安定な存在でした。大雨による土砂崩れや水の流れが変わることにより、それまで湿地であった場所が突然乾いた土地になることもありました。しかし、水田は常に人が管理しているため、安定した湿地であり続けることができたのです。
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日本にいるカエルの多くは水田に水が引かれる頃に産卵し、水がなくなる頃にオタマジャクシからカエルへと変態します。こうした繁殖活動は稲作の長い歴史とともに育まれたともいわれています。
(写真下はオタマジャクシ)
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トンボは水の中へ産卵し、幼虫のヤゴは水の中で成長します。水辺が減ればトンボも減ってしまいます。 |
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