水の話
 
王者の風格を備えた磯の生き物
イセエビは正月の鏡餅の飾りや結婚式の料理など、おめでたい席や行事のときによく使われます。姿や色などが縁起物としてのイメージを抱かせるのが大きな理由のようです。しかし、イセエビの生態にはまだまだ解明されていないことがたくさんあります。

伊勢のエビと磯のエビ
 イセエビの名前は三重県の伊勢で獲れるエビから付けられたと多くの人に思われているようです。確かにイセエビは三重県の県の魚に指定されていますが、生息地域は茨城県から九州にかけての太平洋岸の浅い海の岩場やサンゴ礁です。伊勢で獲れるエビといった意味の他に、磯にすむエビということからイソエビが訛ってイセエビになったという説もあります。イセエビの名前は14~15世紀頃から使われているようですが、他にも鎌倉海老や具足海老、あるいは大海老とも呼ばれていました。鎌倉海老というのは鎌倉辺りの海で獲れて江戸に運ばれたからでしょう。具足海老というのはイセエビの固くて丈夫な殻が鎧兜を連想させるところからきています。
エビには水中を泳いで移動するタイプと海底を歩いて移動するタイプがあり、漢字で表す場合に海老と蝦という二つがあります。海老は歩くタイプ、蝦は泳ぐタイプといった違いで、漢字で書くと伊勢海老、車蝦などとなります。イセエビは夜行性で海底を歩き回ってエサを探します。ただし、驚いたときなどは勢いよく背中を折り曲げてジャンプするようにして後ろへ移動します。
背中を曲げたエビの姿は腰の曲がった老人を連想させます。海老と書くのは海の老人といった意味からきています。腰の曲がった老人は長寿を連想させます。またゆでると赤い色に変化することもめでたい席の料理として喜ばれてきました。お正月料理や鳳来飾りにもイセエビはよく使われます。鏡餅の上に飾る地方もあれば、鏡餅とは別にお膳にのせて飾るところもあります。

鏡餅
鏡餅の上にイセエビを飾る風習は全国共通ではありません。三方(さんぽう)の上に半紙か奉書紙(ほうしょがみ)を敷き、ウラジロを置いて鏡餅を供えるところまでは全国的に共通しているようですが、餅の上に飾るものは地方や家風などによって特色があります。

伊勢エビ
(鳥羽水族館)



魔除、薬などにも使われたイセエビ
 お正月はもともとがその年の豊穣を願い、歳神様(としがみさま)を迎え入れる行事でした。餅は奈良時代の頃に菓子として貴族の間で食べられていたようです。平安時代になると鏡餅が正月の歯固(はがため)の儀式として用いられるようになりました。歯固とは年の初めに堅いものを食べて長寿を祝うことですが、歯を固めるのではなく齢を固めるという意味です。こうした儀式は宮廷や貴族の間だけのものでしたが、鎌倉時代になると、武士もこうした風習を取り入れていきます。おそらくこの頃からイセエビが鏡餅の上に飾られるようになったようです。鎧のように堅い甲羅、長く伸びた髭、美しい朱い色といった勇ましい姿が武士に好まれたのでしょう。
三重県の一部の地域ではイセエビの殻を注連縄(しめなわ)にくくり付けて飾る風習があります。イセエビの甲羅には棘がたくさんついています。鬼は棘を嫌うというところから正月の魔除として用いられてきたようです。このイセエビを付けた注連縄は鬼殺(おにごろ)と呼ばれています。また、節分の日にイワシの頭を飾る代わりにエビの尻尾を「招き」として飾るところもありました。イセエビの殻を粉末にして「麻疹(はしか)」の薬に使っていたという地域もあったようです。
注連縄
注連縄に取り付けられたイセエビの甲羅。写真のように1尾だけ取り付ける地域のほかに、2尾取り付ける地域もあるようです。
(写真提供:鳥羽水族館)


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