フジクリーン工業株式会社
水の話 サケの遡上part1
帰ってきたサケの群れ

微妙なタイミングでの受精

受精直後のサケの卵。

人工受精。
 サケのふ化事業で、テレビなどでよく紹介されるのが採卵した卵に白い精子をふりかけて受精させるシーンです。ところで、これもたんに卵に精子をふりかけるだけではいけないのです。精子は、ま水の中に入らないと動き出さないからです。そこで人工受精させるときはメスの体から水分をふきとって、卵だけを器の中に取り出します。そこへオスの精子をふりかけ、傷がつかないよう羽根でよくかき混ぜます。それからま水の中へ入れるのです。こうして受精した卵は1~2時間、そのままにしておきます。水を吸って、卵が張って、かたくなるまで待つのです。かたくなる前に卵にさわると、ショックによって死亡率が高くなります。

サケの生態に、微妙な変化
 ふ化放流事業の成功は、サケ資源に明るい未来を与えてくれました。しかし、その一方で新たな問題も提起しているようです。一つが、サケの遡上時期の変化です。サケは自分の生まれた川へ帰ってくるでけでなく、自分の生まれた日まで合わせて産卵しようとする性質があるというのです。
 ふ化放流事業で放流される稚魚は、別の川で捕獲したものもいます。遡上時期の異なるサケが放流されれば、その川での遡上、産卵時期が変化してしまうのです。
 また、最近のサケは小型化しているとの話もあります。原因としてふ化放流によって数が増えすぎたため、との説があります。小型化しているのは日本のサケだけでなく、アメリカのサケも小型化しているというのです。日本、アメリカ、ロシア、カナダなどで生まれたサケマスは、北洋の海に集まって成長します。そこへ数の増えた日本産のサケのために、エサの量が不足しがちになるのではないか、というわけです。もちろん、原因はもっとほかにあるのかもしれません。
標津サーモンパーク。ここのサーモン科学館では、産卵から遡上まで、サケのさまざまな生態が観察できます。

サケを育てる「魚付林」
 かつてはサケは「とる漁業」でした。その代表が母船が数10隻の船団を引き連れた北洋漁業でした。しかし200カイリ問題などの国際情勢の変化があり、平成2年に母船式北洋漁業はなくなりました。いま、北海道でのサケ漁の主流は定置網です。これは沖合のサケの回遊路をさえぎるように垣網を立て、落とし網の中へサケが入るようにしたものです。ここでとれるサケの大部分は日本の川でふ化放流されたものです。いわば、育てる漁業です。
 また、これまでは遡上するサケの捕獲は資源保護の立場から厳しく規制されてきました。しかし、ふ化放流事業によってサケは増えています。そこで北海道標津町を流れる忠類川では、サケマス釣獲調査ということで、許可を受けることによって遡上するサケを釣るということが行われています。サケ釣りを楽しんでもらいながら、バランスのとれた資源保護をしていこうというのがねらいです。同じ標津町を流れる薫別川は、大量に遡上するサケが見られることでも有名です。
忠類川ではサケ・マス釣獲調査を目的とした「サケ釣り」が行われています。遡上するサケを釣ることができるのはこの川で初めて行われました。ふ化放流事業の成果の一つとして、将来は他の川でも行われるようになるかもしれません。
 かつてはヘドロで汚れた川も、いまではずい分きれいになり、遡上するサケが見られるところもあります。長年にわたるふ化放流事業の成果だといってもいいでしょう。しかしもう一つ大切なことがあります。稚魚が川を下るには、水がきれいであると同時に、エサが必要だということです。あるいは稚魚の安らげる場が必要なのです。その一つに魚付林というものがあります。魚付林は明治につくられた旧森林法にも、戦後につくられた新森林法にも、保安林の一つとして明記されています。木があれば落ち葉が水生昆虫のエサとなり、さらに水生昆虫は魚のエサにもなるのです。当然、直射日光をさえぎる木陰もつくってくれます。こうした、木が魚を育てるという考え方は、江戸時代からあったのです。
 魚付林は、決して特殊な林ではありません。虫が集まり、水面に木陰をつくり、落ち葉が水生昆虫のエサとなるような木であればいいのです。つまり、広葉樹で、川の上に葉を繁らせるように枝が張り出している林であればいいのです。ちょうど、ポー川の両岸につくられているような林です。
 サケのふ化放流事業より、自然産卵に力を入れた方がいいとの声もあるようです。もちろん、自然の状態の方がすばらしいことは確かですが、日本の川は、サケが遡上したくても障害物が多すぎて不可能です。岸辺には、よほどの上流までいかなければ木のない場所もいっぱいです。水の汚れも、まだまだ気になります。これらのすべての問題について考えていかない限り、本当の意味での自然は取り戻せないのです。
自然の姿そのままのポー川<上>と標津湿原<下>。標津のシベはアイヌのサケを表す稚語とされ、ポー川も、もともとはイチャニポと呼ばれ、サケが産卵のために掘った穴に関係する言葉でした。


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