水の話
 
炭と日本の文化

炭  人と動物の大きな違いの一つに、火の使用があげられます。人間は火を手にして以来、暖房、調理などを覚え、さらに土を焼いて土器を造ったりするようになりました。やがて、人は炭というものを考えだし、それによって銅や鉄などの金属を使いこなし、人はさらに大きく発展することができたのです。

人類と共に歩んできた炭
 人が炭を使い始めたのは、いつ頃からでしょうか。もちろん炭とはいっても、うなぎ屋さんなどで見る炭とは違います。木を燃やすと、やがて炭火のように赤く燃えてきます。これを燠と呼びます。これに水や土などをかぶせて消したものを消炭といい、もちろん炭の一種です。つまり、木を燃やせば炭は自然に作られることになりますから、人は火を使いだした頃から炭も使っていたということになってきます。

人が火を使を使うことを知ったのはいまから40~50万年前だといわれています。ということは、その頃から人は炭を使っていたのではないかといわれています。ただし、消炭ではなく現在のような炭が使われだしたのは1万年ほど前ではないかということです。炭は世界各国でも古くから使われてきました。それも、たんに燃料としてではなく、防湿剤、防腐剤などにも使われていました。紀元前のエジプトでは、炭をめまいの治療にも使っていたようです。

炭にも芸術性を求めた日本
 ひと口に炭といっても、産地や原木の種類によって、様々な炭があります。しかし、大きく分ければ黒炭と白炭に分けられます。両者の基本的な違いは焼き方です。

炭というのは、木を熱分解して炭素を回収したものです。熱分解というと難しそうですが、ようするに、蒸し焼きにするということです。もっとも簡単な炭焼の方法は、野積みにした木に火をつけ、上の部分だけを残して回りを土で囲み、煙がほとんど出なくなったら全体に土をかけ、火を消すというもので、この方法は「伏焼法」と呼ばれ、世界中で行われていました。やがて、中国で炭焼窯を使った方法が発達します。それを日本へ伝えたのは弘法大師(774~845)だと伝えられています。

窯で炭を焼く方法が伝えられてから日本の炭焼は発達していったのです。そうしたなかで、備長炭、池田炭、佐倉炭といった優れた炭が作られるようになっていったのです。黒炭の代表ともいえるのが池田炭や佐倉炭で名前は地名に由来しています。

黒炭は柔らかく、火がつきやすいという特徴を持っており、暖房用などにもっとも多く使われてきた炭です。また、炭がよく使われるようになった理由として、銅や鉄の使用ということもあげられます。例えば、鉄鉱石は鉄と酸素の化合物のため、含まれている酸素を取り出してやらなければ鉄製品を作ることはできません。つまり精練です。そこで、鉄鉱石と炭とを混ぜ合わせて高温にすることによって酸素が取り出され、鉄を作ることができるのです。さらに、鉄を溶かして刀などを作るときの火力として、炭が使われてきました。日本では、武士の時代になって、鎧や兜、それに刀などの武具が作られるようになると共に、炭もたくさん作られるようになっていきました。やがて中国から茶の湯が伝わると、湯を沸かすのに炭が使われるようになり、茶の作法と一緒に茶道用の炭もいろいろ改良されていきました。

 狭い茶室で使われる茶道用の炭は、煙などが出にくいといった実用面だけでなく、茶室をより哲学的な空間として作り出す美的なものが求められます。たとえ燃えて灰になる炭であっても茶器と同じ大切な茶道具でなければならなかったのです。そして、炭となったときも樹皮がしっかりと残り、切り口は中心から細かい割れ目が放射状に伸び、菊の花のようになった炭がいいとされるようになりました。その代表ともいえるものが、現在の大阪・池田市で作られるようになった池田炭と千葉県佐倉市で作られるようになった佐倉炭です。原木はクヌギです。
白炭、黒炭
左が白炭、右が黒炭
白炭と黒炭
表面が灰のために白っぽく見えるのが白炭で、切り口から見てもいかにも硬そうです。それに対し、黒炭は密度が薄く柔らかそうに見えます。よく焼き締めた白炭のなかには金ノコギリでも切ることができないものもあり、そうしたものを短くして使うときには、ハンマーなどで叩き割ります。
白炭、黒炭
上が白炭、下が黒炭


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