「藍染めという以上、100%天然の藍を使わなければ邪道です。藍の原料となるすくも、染液を作るための木灰、すべてを天然もんでそろえようと思っても、たしかに絶対量は少なく、それらを使うと大変な手間と費用がかかります。そやけど天然もんを100%つこうても藍、合成染料をつこうても藍。これでは藍染を買うた人が一番馬鹿を見るんとちがいますか」
言葉の内容には厳しいものがありますが、口調はおだやかです。しかも合成染料を使うなといっているわけではありません。「本もの」も「にせもの」も、同じ「藍染」として売られていることが問題だというのです。
「合成染料を使うこと自体が悪いわけではありません。ただ、そのことをはっきり表示すべきです」
藍染は根強い人気を持っています。買い求める人は、ほとんどが「本物」だと信じて購入します。しかし、その多くは多かれ少なかれ合成染料も使われています。古庄さんは、どこそこの「産地の藍染」は本物かどうかとよく人にたずねられます。
「そこで本物は作られておりません」とは決して言いません。「気いつけてお求めなさい」との助言にとどめています。もしも、「そこのは本物ではない」と答えれば、そこで「藍染」を作っている人の生活を脅かすことにもつながりかねないからです。
本物の藍染を復活させるため、自らも苦しい生活を余儀なくされた経験からにじみ出る優しさが汲みとれます。
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時代がどれだけ変わろうと、藍染のもつ魅力は日本人の心をとらえて離しません。
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