フジクリーン工業株式会社
水の話 藍染めpart1
水と生きる
「神の宿る色」を甦えらせる

柳宗悦、芹沢けいすけ、バーナード・リーチに感銘
 昭和38年、徳島市に柳、芹沢、バーナード・リーチらが訪れ、講演をしました。聴衆の中の一人に、古庄さんの姿もありました。

 東洋的価値を高く評価するバーナード・リーチ、西洋のコンプレックスにとらわれていた日本に、文化的価値を正当に評価し、次々と新しい美を発見し、「民芸」という言葉を創出するとともに民芸運動を起こした柳、そして柳の民芸運動に係わった芹沢。

 古庄さんは「1000年以上にわたり愛され続けてきた藍を、なぜ復活させないのか、藍染のすばらしさ、尊さ、伝統工芸の重要性になぜもっと目を向けないのか」と説く3人の話に、強く心を打たれました。その日から、古庄さんは本物の藍染を復活させるため、苦闘の日々が続きます。

 本物の藍染がなくなったとはいっても、木綿の絞り染などを続けている人は、全国にいました。藍は植物性繊維ばかりか、絹のような動物性繊維にもよく染着します。ところが絹の藍染は木綿よりも難かしく、合成染料が普及することにより、完全に途断えた染色技法もありました。本物である以上は、布地も「本物」でなければなりません。

 古庄さんに共鳴し、「織りは俺がやるから、お前は染をやれ」といってくれた人もいました。指導してくれる人も文献もありません。たしかに藍はありますが、商品的価値のあるものが、どうしても作れません。倉庫の中には失敗作ばかりが積まれていきました。

 藍はアルカリ液を使って水に溶けるようにします。このアルカリ液を何から作るのかということも問題でした。カ性ソーダのような化学薬品を使うと、藍染が本来もっている良さを損ってしまいます。そして、それでは「本物」とはいえなくなってしまいます。昔は木を燃やした木灰から灰汁をとって使っていました。それも、堅い木の灰のほうが、いい灰汁となるのです。とにかく試行錯誤を繰り返し、世に出せる作品を完成させるまで、気がつけば10年という歳月が流れていました。
 そして天然藍染による注染(ちゅうせん)という方法も完成させます。布地に模様を染める方法はいろいろあります。たとえば型紙や筆を使い、防染糊で布地の上に絵を描きます。それを染液に浸しても、防染糊のついている部分には色がつきません。これを浸染(しんせん)といいます。浸染は防染糊をつけた表には模様ができますが、裏面は全体が染まります。

 これに対し、長い布地に型紙で同じパターンをつけ、しかもパターン同士が完全に重なるように折り重ね、上から染液を注いでやると布地の表も裏も防染糊で染まるとこはありません。これが注染という方法です。

 ところで、藍で染めるには染液につけた布を一度空気にさらさなければなりません。その作業を繰り返すことによって色を濃くしていくのです。注染は布を何重にも折り重ねてあるため、何度染液を注いでやっても、最後に布を広げたときにしか空気にふれる機会がありません。常識的には、天然藍での注染は不可能だということです。それを成功させたのです。
型紙を使い、同じパターンを防染糊で描きながら重ね合わせ、染液を注ぐ注染法。藍染では不可能とされていたのを、古庄さんがはじめて完成させました。


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